お金の流れは急に変わる、やはり大から小への川の流れ

先日、ロンドンでBOP事業のための中間支援を行っているスタッフの人に色々話を聞いていたところ、彼女がため息をついた。

「DFID(英国開発庁)もやっぱりお上が変わると変わるから…。キャメロン首相になってから、実はアフリカへ回るお金が、現在中東に回るようになってしまって。」


なるほど…
やっぱりね…
なんかそんな予感してました…


この間までは、ゴードン首相はアフリカを注力的に開発することを念頭においていたので、ODI(開発庁お墨付きの(?)シンクタンク)でも、DFIDでも昨年からずっとアフリカオンリーの色だった。

特に、そのプログラムがいいな、と思っていたのは、アフリカの起業家支援・育成を組んだものが多くて、全て「生業(ライブリーフッド)」を生み出すためのものが多かったことだ。

この全般的なムーブメントは、イギリス全体に流れていたし、オックスファムにもワールドビジョンにも「マイクロ起業家支援ファンド」も立ち上がったり、起業家支援ブームだった。
それが特にアフリカは起業家の効果も高いし成長も早いというので、色んなプログラムにお金が投入されていたし、ロンドン市内でも沢山の「アフリカ投資」系のセミナーが開催されていて、援助も非援助も関係なく、アフリカへのお金の流れを肌で感じる1年だった。


沢山の個人投資家たちが、アフリカへの興味を前面に押し出して、歩き回っていたし、それ以上に、アフリカから来てイギリスで成功している実業家たちがかなり意欲的にイギリスのこの潮流に乗って、自国の再建、自国への誇りの回復を図ろうとしていて、涙を誘う感動のシーンもあった。


以前であれば、「イギリスに来て勉強して帰って自国のために働きます」という優秀な学生が多いところ、この1年感じていたのは「自国には戻れなかった。この国で苦労した。そして、自分は今銀行で働きスキルが身についた。あの国の現状をあなた方は知らない。私はこの国から出来ることをし、自国に帰れるようになりたい。」というシニアな方々が増えたということ。


その言葉の裏には、重みと苦しみと愛憎を感じるものだった。


こうした人たちは以前は、「自分はビジネスで成功し、仕送りすればいい」と割り切って、その愛憎を心の裏に隠して、平穏にロンドンで生活していたのであるが、それが最近のビジネスと開発の合流する地点でむくむくと熱いものが沸き滾りつつあった。


彼らが動きだすとすごいことになるだろう。そんな強い信頼を与えてくれる動きだった。
草の根の「自国助けて」運動とはまったく違う、彼らの野心的な目と彼らの「自分があの国でビジネスをして、公益になることをするんだ」という信じ込みは、誰よりも、何よりも強い。


この彼らの動きが最近急速に沈静化してきているように感じるのは、一つに、①景気が戻ってきて本業のビジネスが加速しているから、②イギリスの開発全体のムーブメントが一気に中東よりに変わり、現在、アフリカ関連の動きが鈍くなっているから、という理由のような気がしている。


ビジネス上はやはり資金の流れは引き続き続いていて、(だが、南アフリカのワールドカップがあったせいで、非常に偏っているような感じを受ける)投資の呼び込みも大きいが、前ほどではない気がする。やはりワールドカップが終わってしまったからか。
それと国のサポートというリスクヘッジが消えると、事業投資も難しくなるのだろう。


とはいえ、中東に向かった資金の使い道や、そこにまた起業家支援のようなプログラムが増えるのか、というと、そういうものがはっきりするまでまだ時間がかかる。
特に中東はお金の流れの渦がぜんぜん違う。ドバイ、アブダビという金融中心地もあるし、投資の入ってくるルートがぜんぜん異なるので、ビジネスと開発が一致する流れを交通整理するのにもう少し時間がかかりそうな印象だ。(だが、徐々に始まっている)



お金の流れはやはり「お上」によって変わってしまう。
これがもっと自発的に自律できる流れになるためには、どうしたらいいのだろうか。


でも、ケニアプロジェクト(BOPラボを通じて行っているケニアでの起業家支援プロジェクト)の話をすると、やはりこちらでも興味を持つ人が多い。特にシニア層マネージャー達やケニア出身の実業家たち。彼らは熱心に聴きながら、ふむふむ、と言って、自分が何が出来るかを知りたい、と言う。


投資先を探している皆さん、是非、アフリカの起業家と共に歩む長い道のりも、考慮に入れてみてはいかが?
流行にとらわれずに、強い目線と強い動機で、自国のために動き出す彼らと共に歩むことは、それだけで自分の人生を何度もふるいにかけられて、自分が自国のために何をしたか、自分が人類のために何をしたか、何度も問いかけられる瞬間のある作業です。


それをソーシャルリターンと呼ぶならば…
そんな簡単な一言や二言の言葉では呼べないリターンが大量に返ってくる投資でしょう。


こうやって小から大のお金の流れが生まれていくように地道にやっていくしかないのです。

景気回復がソーシャルなものに与える「悪影響」

このところ景気が回復してきた、というのを肌で実感していた。それは、市場を日々追っているからでもなく、販売活動をしているからでもない。
実はソーシャル分野での働き手たちが俄然忙しくなり、プロボノに対する時間を割ける人が少なくなり、金融業界からマイクロファイナンスに関心を持って転職を考えようとする人が一気に激減しているのを、肌で感じているからだ。


景気が良くなると、打撃を受ける産業。
実は、ソーシャル分野である。


「昼の仕事・夜の仕事」と言って、「夜の仕事」としてソーシャルな仕事に顔を出していた人たちの生活の中で、「昼の仕事」である仕事が「夜の仕事」にかける時間に侵食しつつあり、手を離すことができなくなっている。


様々な人たちが起業や一念発起を考え始めていた矢先、「今いる会社の仕事が面白くなってきて」辞めないでしばらく様子を見ようという人が増えてきた。
(面白い仕事をする、という意味では悪いことではないです!)


打撃を受けているのは、今までプロボノたちに支えられてきた零細NGOや社会的企業
不景気時代には、優秀な人材は優秀であればあるほど、本業の職務を離れ、より難題、より社会的効果の高い仕事を目指して、一気に流出していたのだが、その波が一気に引き上げつつある。


特にアメリカとイギリスの金融業界の出入りを見ながら、うっすら感じていたのがここ半年。
アメリカでは2009年頭から2009年半ばまでがピークで、社会的企業NPOへの転職が増えていたように思う。(統計はないのだが)
例えば、学生の就職ランキングでアメリカでNPO業界への就職がランキング1位になったというから驚きだ。


そのゆり戻しが今来ているような感触がある。特に社会的投資分野は金融セクターの転職者が多いこともあり、人材の流動性が激しい様子。金融NPOや社会的投資ファンドの人材獲得は徐々に難しくなるだろう。


そんなことを考えていたら、やはりハーバードビジネスレビューでも同様の記事を最近発見。

http://blogs.hbr.org/cs/2010/08/job_growth_poses_challenges_fo.html


面白いのは、NPOセクターの経営者に対する警鐘とタスクをまとめてあるところで、より競争率の高い人材市場で、NPOセクターも競合他社に勝つためにはどうすればよいかを説いている。


ついついNPOセクターは人使いが荒くなることが多いのだが、そういったことを戒め、スタッフまたは人的リソースのモチベーションとやりたいことに目を向けて、共に歩む姿勢を見せることが要求されている。
また、きちんとしたアセスメントも必要だ、という姿勢、それから金銭的な報酬と非金銭的な報酬の両方を使い分ける、という話も。


日本のNPOセクターにはまだこうしたマネージメントの領域に達している経営者が多くない印象を受けるが、それ以上に、ここまで人材をひきつける市場にまだなっていないことも事実。


最近ようやく日本でもプロボノに注目が集まり始めていたのに、ここで景気が回復して一気にNPOセクターへの就職が「単なる流行化」してしまうのは、なんとも悲しい。


だが、なにはともあれ、景気動向に左右されなければならないことももっと悲しい。中には「流行」としてボランティアをし始めたが、結局長く続かなくてあっさりやめてしまうケースも少なくない。それがNPOの持続可能性に大きな影響を与えているにも関わらず、だ。


より深みのあるキャリア形成の一環として、比較できないほどの価値を提供できるように、本来ならばNPO側も準備していかなければならない。だがそれ以上に、プロボノとして関わる側もそのプレミアムを十分に認識して、責任ある態度で長期的に取り組めるようになりたい。


ソーシャルという意味を考えるとき、最近「忍耐」という言葉がよく頭に浮かぶ。人は自分に対して、どのくらい忍耐強くなれるのだろうか。自分の欲求を深堀することに対して、どのくらい忍耐強くなれるのだろうか。
そんなことを突きつけてくる課題のように思える。

リバース・イノベーションというよりも・・・

BOP層の住む世界から、TOP(Top of the pyramid) 層の住む世界と行ったり来たりしてきて、本質的に何が異なるかをすごく考えるようになってきた。

体や脳みそに与える影響を考えると、「情報量」という一言がいつも頭に浮かぶ。そして、「時間」。
「情報量」×「時間」があまりにも異なるのだ。


村の人々は、一つの情報から100のことを得ようとする。
例えば、「近くに学校ができるらしい」という情報から沢山のことを読み取る。


学校が出来るなら教員の職が出るだろう、子供達が集まるならユニフォームが必要になる、といった即座に思い浮かぶ収入源のこと。


それから学校ではどんなことを教えるのかを考えながら、それであれば自分の子供達がどんな仕事につけるようになるかを想定してみるという、夢をはせる作業。


そして、学校ができるためには建設業者が来たり、外部から色んな人が来るようになるかもしれない、ということで、わくわくする期待感。


本当に一つの情報の価値が重い。

だが、TOPの世界に帰ってくるたびに思うのは、情報が溢れていること、みなが今日起きたことに一通り目を通して、次の瞬間には忘れてしまうという術を見に付けていること。
体がそれになれるのに時間を要するのが分かる。


私たちが、なにかを判断するとき、それはどの情報に基づいているのだろうか。

これが誰誰にとっての幸せだ、と判断する時や、この商品・サービスを売るべきだ、と思う時、それは誰がどこで受け取った情報に基づいているのだろうか。


本当に毎回、気づきを与えてくれる。
私たちが生きている土壌は、うすっぺらい情報の上で、滑り落ちるようにしている生活だということに気づかせてくれる。
彼らが生きている土壌は、一つ一つの情報が沈み込むような世界で、モノとコトにきちんと対峙しながら生きなければ、サバイブできない世界であるということに気づかせてくれる。


どちらがいいかは分からないが、技術を逆輸入する、ということよりも、価値の重みや「情報量」×「時間」の差や、沈み込むような情報のあり方、というものに気づく。そのことの方が重要なのではないか。
こういうのも、リバース・イノベーションの一つとして価値化されてくるだろうなあ、と思う。

読後会での深堀作業

遅くなってしまいましたが、色々な縁あって、読後会というものに出席しました(6月11日なので、1ヶ月前ですね…)

そもそもの始まりは、林田全弘さんという(私はりんださんと呼んでます)方との出会いです。


2006年頃、オックスファムから出て今の会社に移った時に、サービスグラント、というプロボノをマッチングするNPOに登録しました。
その時に林田さんと同じチームになり、プロボノ作業のためとは言え、朝も昼も頭を悩ませて、色々議論しました。
その結果、お互いに非常に考え方が似ていることに気づき、その後も、NPO向けのデザインというのを林田さんがやるのを、私が手伝える時に手伝い、手伝えない時は放置して(笑)、一緒にちょくちょく会ってはアップデートしてきました。


そんなアップデートで二人が会った時に、林田さんが「デザインの現場」という雑誌に出ていた、Design for the Other 90%の展示について教えてくれたのです。
槌屋さん、こういうの、興味あるでしょう????」

それからずっと頭について離れなくて・・・
そして、結局色んなことが起こりました。


それで、林田さんは前々から組織をデザインする時は、良いファシリが必要だ、という話をしていて、ファシリテーターの青木さんといつも色々と情報交換や協働をしているようでした。
いつか私も会いたい会いたいと思っていたら、なかなか会えなかったのですが、友人のバーYomicaで、デルフト大学のイローナが来た時にこっそりとしたこじんまりした飲み会をしたのですが、その時にお会いできました。


そこで話があれよあれよと、(ま、飲んでたせいもありますが)「青木さんがいつもやってる読後会で、この本を取り上げよう」ということに。

「読書会」「ブッククラブ」とはぜんぜん違うスタイルで、読んだ人が思い思いに色々な話をするスタイル。
私も入っていいの?と聞いたら、Okとのこと。


そこで10人強で5時間という濃密な時間をすごしました。
MITの遠藤さんもボストンからUストリームで見ていたようで、「日本でもああいう話し合いが行われるのを見て、新鮮でした。面白かったです。」とおっしゃっていました。
(5時間も見るのつらいと思うんだけど・・・)


というわけで、現在、その濃密な時間をぎゅっと縮小した記録がウェブに上がっています。
一人一人の哲学にまで行き着く話が出来、この5時間で色んな気付きを得て、そして自分が何をすればいいかを考えるに至っています。


元々、私は「自己実現」と「BOPビジネスの実施」をごっちゃにしてしまっている人がいて、不安に思っていたのですが、それもそういう考え方を深堀していくことで、不安が解けました。

不安というのは、よくあることなのですが、「自分のやることを探している、その一つがこれなんじゃないかと思う」という自己中心的な思いの基点(その多くはやりたい思いが強すぎて、実効性を伴っていないことがあります)と、「BOPビジネスという領域に入っていく」という過酷で先の見えない作業を、一緒にしない方がいい、と思っていたということです。


ですが今回の5時間の濃密な世界の中で、学生や色々な不安を感じている人たちと話しながら、自分も自己実現のためにやっていることがあることも気付きましたし、自己実現という言葉の意味も深く考えるようになりました。それは将来に対する不安や自分をとりまく環境に自分が巻き込まれていく不安から、ふっと浮上してくる欲望なのだと思うのです。

そして、何よりも自己実現が相手にとっての自己実現と重なるような世界観を作っていけば、そこには両立できる土壌が生まれるということもよく分かりました。


5時間という時間をすごすことの重要性を知りました。
皆さんも立ち止まって、自分が行き急いでいると思ったら、
5時間でいいから立ち止まってください。
なぜ、急いで結論を出そうとしているのか、分かるはずです。

もし興味がある方は是非ご一読ください。

林田さんのブログ:

読後会、盛況のうち終了しました [2010年06月14日(月)]
http://blog.canpan.info/rindazenko/archive/29

読後会の記録資料できました! [2010年07月07日(水)]
http://blog.canpan.info/rindazenko/archive/30

旅の準備

世界中の農村部をうろうろし、ビジネスと土着の間を行ったりきたりする、この仕事が本格的になった頃から、体は色んな変化を起こし始めました。腰痛、軽い咳から始まって肺炎に近いような咳、偏頭痛、湿疹…。体が順応できていない証拠です。

色々考えさせられることが多いのは、自分の体がその社会に対して、その国に対して、順応しようとする時の反応です。

やはり、人間の本能はすばらしく色々なことを教えてくれ、それが思想にも繋がっていくのを感じます。
なので、私は一つ一つの症状を嫌がらないで受け入れ、これは何を意味しているのか、意味していないのかを考えるようになりました。


今、ちょうど旅の準備をしていたところだったので、その休憩がてら、私が最終的に今のところ落ち着いている、村やローカル、土着への順応方法を、少しだけ書いてみようと思います。


元々敏感肌ということもあり、化学的な薬が苦手なのですが、最終的に胃腸の予防薬とマラリア予防以外は薬はほとんど服用しないことにしています。(これだけは避けて通れないので)

本当は現地の葉や現地の薬で治すのが一番いいのです。
(実は、私が南米を旅していたとき、一番高山病に効いたのはコカの葉のお茶でした。そのあたりに生えているのを取ってきて、お湯をかけるだけですが、町の人が作ってくれて一気に治ったのです。)

私が持っていくのは、古来から消毒や傷に使われていたラベンダーオイルや、菌が体に入った時に殺菌作用のあるティートリーオイル、あとはメディテーションのために自分が必要ないくつかのオイルと、それからホメオパシーの薬を少量持って行きます。


こうした薬草を中心としたものに変換したのは、これらは現地で必ず代替となる同じ効用を持つ薬草を見つけられるからなのです。

ラベンダーは本当に便利で、最近やけどをしたのですがこれにもすぐ付けられるし、ティートリーを喉から肺にかけてマッサージしつづけたおかげで、重い咳や声がれも収まりました。
(ラベンダーは第一次世界大戦モルヒネが切れた戦地で使われたオイルで、傷を治す即効性があります。)


これも、自分で少しずつ体質に合わせて選んだもので、これらを持っていると安心して、フライトに乗って、5−6時間の車の移動も出来るし、そして現地で健康でいられるのです。


現地では何が起こるかわからないのですが、普段からこのオイルを日常的に使っているため、ほとんど今の生活と何も変わらずに現地の空気になじむことが出来ます。
自分と現地の境界線をなくすために、自分の生活を変えたと言ったほうがいいかもしれません。


現在、ハーバリストの医師兼友人と相談して、自分の体質や仕事にあったものを選んでいるところなのですが、彼女が言うには、「あなたは現地に土着化しようとするけれど、先進国で生まれ育った体だから無理な時もあるみたい。だから、今度は現地でオイルや薬草を調達してきてごらんなさい。それをこっちでも使うといいんじゃないかな。」と言われています。


オイルはフレッシュであればあるほどよく、私はまだ保管の方法がへたくそなのですぐだめにしてしまうのですが、実はオイルの持ちは持ち主の健康状態やメンタル、気の流れとも作用しているっぽい気がしてきたので、そのあたりは自分で気をつけることが重要です。


旅は非常にメンタルに来ます。
ビジネスだから、とか、出張だから、とか関係なく、今までの自分の人生や生き方を見直し、農村で生きる人々の人生にコミットしていく自分を見つける時、その方向性に悩み、メンタル面でも色々と強くならなければ対峙できないこともあります。
悩むことだらけです。

なので、実はメンタルのメンテナンスが非常に重要で、それも現地の人々の声を、聞こえない声までも、自分が聞けるような状態になり続けるための、メンタルが重要なのです。


以前、農村で起業家たちを育てている人と話した時に、「この道は仏陀が通った道だ、私はその後をたどるだけだ」と言った人がいました。
私はメディテーションを時折しながら、その意味を何度も何度も解釈し直し、まだまだその理解に至ってないことを知るのです。


さて、パッキングに戻ります。
あさってには灼熱の南部インドに上陸します。

お知らせ色々

日本能率協会でBOP関連のセミナーをやるそうです。
是非、機会があれば皆様ご参加ください。
http://imd.jma.or.jp/bop/

こちらの日本能率協会のBOP懇談会のメンバーになっておりまして、日本の企業サイドのBOPで有名な企業や関係がふかそうな企業の方々が集まっていて、大変面白いです。

今回のセミナーには参加できませんが、もし行った方がいらしたら教えてください。


それから、
5月に英国開発学会(IDDP)で講演してきました。
また、6月に同様の資料を使って、法政大学でもBOPラボの上西さんのご紹介で、吉田秀美先生のゼミで講演をいたしました。

こちらに、IDDPの時の議事録と資料がアップされています。
(資料は簡単なものですみません…ビデオを多用しています。)
http://iddp.dreamblog.jp/blog/278.html

どうぞごらんください。

狭い道に群がる志のソーシャリストたちよ

久々にロンドンで3時間話し込むというすばらしい出会い。
IDE(International Development Enterprise:世界を変えるデザインの中に出てくる足踏みポンプの設計を行ったNGOです)のPaul Polak。かの有名な「Out of Poverty」の著者です。

彼のフライト直前まで、メイフェアのシェパード・マーケットで話し込みました。IDEのメンバーと一緒に、IDEの長期戦略をああだこうだいいながら。(私はIDEプロボノとして戦略立案のお手伝いを少しだけしているのです・・・)

彼とは前から会いたい、会おう会おう、いやいつ会えるのだ?と話していましたが、今回偶然、IDE UKのメンバーが「今日、ポールが着てるんだけど、shinoってイギリスに今いるわけ?いるなら、絶対あわせたいんだよ!!」と連絡が来て、「いるよーいるよーーー!!」と答えたら、急遽ミーティングに呼んでくれました。


MITのDlabの遠藤さん(Jaypur Footの義足開発に携わっています)と電話したときも、「僕の師で、ものすごい尊敬してるんです!!」といわれているポールさんですが、比較的、普通のおじ様の雰囲気をかもし出しつつ、ものすごい面白いです。


新しいものをきちんと吸収し、そして、「コネクト・ドット」ができる人。

目がきらきらしている人。

そして、なによりも「実行できるもの」「本当に売れるもの」「本当に使えるもの」それにしか興味がないという、ビジネススタイル。


こういう人ってどの世界にもいますね。そして、こういう人が世界をつなげて行くのを感じます。
違う分野にいても、同じ世界観を共有できる。


で、彼と話していて、日本の状況を色々と説明したり、どうすべきかを話していました。

急速に関心が広がり、Design for the Other 90%(世界を変えるデザイン)に対する関心、ソーシャルビジネスに関する関心、社会的起業・社会的企業に対する関心があまりに沸騰しすぎた状態になっている今、。。。。

一方で、誰もどこに向かっていけばいいのか指南役もおらず、現地と繋がれる人も少なく、現地のコミュニティに足を運べる人は「ラッキー」な状態になっている。
(コミュニティ側にとっても一気に沢山きてもらいたいわけじゃない・・・一度に2〜3人、しかもきちんと実行につなげて行く能力のある人、というのが限度でしょうね)

つまり、
「狭い道に群がって、みーんな待ってる、志の高い人たちの列ができているような感じなんです」と私が説明する。
ポールも、ふーむ、どうしたもんかね、という顔をしていました。


そして、道が狭いが故に、悪い道、嘘の道、間違った道に誘導しようとする動きやサービスも出てくるかもしれない、つまり、それはコミュニティへの影響を無視した道を作る人が出てくるだろう、という懸念。そしてその道から出てきた商品は必ずしもコミュニティに貢献せず、「selling to the poor」と何が違うのだろう、と思わせるものになってしまうかもしれないという怖さ。


狭い道でもいいから少しPatientになって、正しい道、信じる道を進もうと思ってくれる、人たちを信じたいと思います。

そのPacience 忍耐こそが「ソーシャル」を考える意味であり、その人が「ソーシャル」であるゆえんなのです。



ポールと話してきて、少しこの問題に関しては解が見えてきました。これから一緒に色々と動こうと思います。
またその動きはブログに書いていきたいなと思います。