オープンソース、Free、放牧、プロボノのビジネス

昨日の「世界を変えるデザイン展」の最終日カンファレンスでは、スタンディングオベーションで終了した。
日本で、スタンディングオベーションで終わるカンファレンスなんて見たこと無かったので、すごい!と思った。


ちょっと涙が出そうだった。いや、本村君は泣いてたかもな!
私は実は、カンファレンスが始まる前に、日本産業デザイン振興会の矢島さんに久々にお会いしたときに既になきそうだったのだけど。


このカンファレンスの内容は充実したものだったと思う。

例えば、「デザインとは何か」ということを、デザイナーだけの集まりではなく、3分の2以上がデザイナーではない人たちの集まりの中で語られる、という現象がおきた。人々が生活の中で、デザインやデザイン思考について考えるきっかけを持つようになった。デザインは見かけのデザインではなく、本質の構造の配置であり、所得の分配であり、システムの構成を考えることであることに、一定の合意が得られたカンファレンスだった。


それから、「オープンソース」ということについて、ITオタクではない人たちがここまで真剣に議論し、自分たちの生活の中で、オープンソースがどう影響するかを考えた。Web2.0をアナログで実践する世界がどう来るのか悩んだ時期が2〜3年前にあったのだけど、それが実地で起こり始めている感じだ。

特に、昨日のカンファレンスで、どんな反応をするだろう、と思ったのが大企業に勤める人々だ。自分たちの生産や企画のプロセスの中に、ほんとに「オープンソース」的な要素は入れられないのか?事故の対応や責任範囲などの話がでて、色々反論が出た。でも、それでも「それって、既成概念がおかしいんじゃないの」とNosignerさんは投げかけていたように思う。

メーカー保障って書いてあるけど、私も一度も完全にメーカー保証してもらったことなど少ない。結局、「ここから先はお客様の責任ですから」と言われているのが現状なのに、なぜそこまで事故と責任にこだわるのか。
(それは、結局リコール騒動がおきてしまった時の損失が馬鹿にならないからだろうと、メーカー勤務の夫を持つ私は思うが・・・)

彼の言葉の中で私がとっても印象的だったのは、「知財というものの構造を時代に合わせて変えるべきだ」という話をしたことだ。私もそう思う。


クリエイティブ・コモンズは、著作権を分割し、選択することができるようにし、自分がとりたい責任範囲までを表明できるシステムを作ってくれた。
このサイトの文章だって、クリエイティブ・コモンズに守られているから、私は書くことができる。悪用されないことを人々の良心に任せ、また、良用してもらえることを期待しながら。多くの人がコピーしたりRTしたりするのはまったく問題ない。出典さえあれば、その言葉のオーナーがだれであるかはっきりさせておいてくれれば。


3月頃にインドで「性善説のビジネスと性悪説のビジネス」という話をしたことがあったのだが、性悪説のビジネスがパテントを保護し著作権にこだわり、知財流出を避ける手法だ。でも、性善説のビジネスだってあるのだと思う。それが勝手にコピーされて普及し、勝手にものごとが起き、勝手にみんながそれを「すごい」と言ってくれるブランドができあがる。昨日、カンファレンス内でも、GKデザイン機構の田中さんがおっしゃっていた。良質で高品質でかっこよくて誰もが持ちたいからコピーするだけなのだ。それならコピーされるくらいみんなが賞賛する商品を作りたいよね。ものづくりの本望だよね。

知財イノベーションの問題にぶつかっている。だが、解決策があることをオープンソースの世界で生きてきた私たちの世代は知っている。楽しくて、イージーゴーイングな開発やものづくりの現場があることを。私もNGOオープンソースの親和性を語れる世代の一人だと思うけれど、無料技術のすごさは計り知れない。私はNGO時代に無料技術で一日1万人を動員し、アドボカシーをしてきたのだから。

でも、この壮絶な効果を知らない人たちもいる。知らない人たちを知らんふりできなくなってきたのだと思う。


協働。


だから私たちはパートナーを探すのだ。自分と違う人だからこそ刺激をくれるし、刺激を与えられる。オープンソースの世界がただのオタクるつぼ化してしまわないように、私はたくさんの「今まで関わらなかった人たち」が巻き込まれる世界を作りたいと思う。それが今までオープンソースを自分とは無関係のものと思ってきた人たち、大企業の生産過程・企画過程であり、そして、貧困層だ。彼らが楽しんで参加してくれるのであれば、それがベストだ。



先日リコーの瀬川さんに「槌屋さんは日本総研にとってFREEのビジネスモデルだね」と言われた。最初はなんのことかわからなかったが、そういえば会社では「放牧系」と呼ばれている。そのことかな、と思った。


無料配布でぺちゃくちゃと外でしゃべってくる上に、BOPラボというオンラインのコミュニティまで作ってしまって(会社にしてみれば知見を垂れ流しているんじゃないかとハラハラものだろう)し、ケニアまで自腹切って行っているし(火山灰の影響で3週間とか通常のビジネスではありえない長期滞在だし)、あきらかに、ちょっと「会社としては許しがたい」異常行為に写るのだろうなと思う。
色んな抜け道があったのでたまたま出来ているのですが(パートタイムの研究員なんです、とか、イギリス現地採用なんです、とか)それも差し置いても、なんだか皆こんな働き方できるのか、といぶかしげに思う。なので、「槌屋さんはどう会社で位置づけられてるんですか」と言われるのだけど、「ノマド社員でしょうかね…」としか答えようがないのであります・・・。

この場を借りて言えば、会社は非常に理解してくれており、そして、懐が大きいことを感じ、大変感謝しております。その恩返しも含め、身を粉にして働いておるつもりです。本当に。そういった意味で私は自分の会社と自分のチームが大好きで、あの人たちのためにがんばりたいと思うのは、彼らが私を理解してくれているからだと思う。ここに相互のロイヤリティが生まれているのは確かだ。


でも、FREEスタイルの無料配布のおかげでチャンスがいっぱい出来た。たくさんの面白い人に会うことも、この無料配布の仕組みとフットワークがなかったらできなかったことだ。チャンスがいっぱい降ってくる。たくさんの人と友達になれる。同じミッションを持つ友達が世界中にいっぱいいるという世界は、なんて住みやすいのだろうか、と思う。ビジネスをするにしても、生活をするにしても、楽しいはずだ。

古い「総研系」やら「コンサル」やらの考えは捨ててしまった方がいいと、私はずっと思っていたのだが、あまり会社にそのシフトが出来る人は少なくて、私が結果そうなってしまっただけ。
情報産業なんてレポートが高く売れる時代じゃないのだから。コンサルだって代替可能になるほど世の中にあぶれている世界なのだから。私が「これほしい」と思うのは、そういうものじゃないから、わかる。


私はだからプロボノを推奨する。私自身、プロボノと仕事の区別が付かないくらい沢山のプロボノをしてきて、それが全部楽しかったし、少ないかもしれないけど小銭稼ぎになったものもある。NGOや地元のNPOや友達の組織の手伝いやアメリカ組織の日本でのローンチ…、本当に色々。そこで英語が生きる英語へとブラッシュアップされていったし、人とコミュニケーションすることがうまくなったし、なによりもおばちゃん力がついた。この活動が私を「エンパワメント」してくれたのだとつくづく思う。


BOPビジネスやら新しいことをしたい人たちは、沢山ボランティアして、沢山プロボノをするのが入り口だと思う。
オープンソースの考え方で働き始めていくには、最初に入っていく道はそこで、そこで死ぬほど沢山のことを学ぶ。業界のこと、貧困のこと、人的ネットワークのこと。
その上で、少しずつ自分の本業や強みと抱き合わせられることをしていくのが一番効率がいい。最初から本業としてBOPビジネスで金を稼ごうなんて思わないほうがいい。それは百戦錬磨の相当なテクニックが必要だからだ。


というわけで、昨日カンファレンスに来た、これからこの「世界を変える」ビジネスに入っていく人たちには、どんどんがつがつとプロボノと本業を両立させる超忙しい毎日を送ってもらいながら、そこで自分の能力の限界を知ると同時に、沢山のネットワークをしてもらって、どんどん自分から発信する側になって言ってほしいと思いました。

それが最初の入り口で、そして、それが正攻法なのではないかと思います。


体調が絶不調でもう声が出ない日本滞在ですが、残すところあと1日。がんばります。

デザイン展から考える: モダンデザインの持つ民主性と日本の強み

「世界を変えるデザイン」の書籍から発展して、こんな動きになるとは思わなかった・・・


「世界を変えるデザイン」展のためにNYからわざわざ足を運んだイローナ(「世界を変えるデザイン」のあとがきで、私が一緒にNYのアフガニスタン料理屋でサモサを食べたイローナです)が、感激のあまり声を漏らしていた。

ふたりで見つめ合い、「いやーこれは想像以上だわ」と感動した。初日で800人の大入りだったというから、興業的にも成功だったのであれば嬉しい限り。



私だって、想像していなかった。ちょうど1年前、私はイローナに打ち明け話をしたのだ。

「私、今出版社さんにもちかけて、Design for the Other 90%の日本語版を作っているところなのよ。」


「わお、Good for you!!!すごいじゃない。日本でもエキシビションをできたらいいね。」


「いや、そういう機運じゃないね。
この本を出すにしたって、日本のデザイナーたちは、わかるだろうか、と不安なの。このデザインは、かっこいいものを作ったり、見栄えのいいものを作る「デザイン」ではないってことが、伝わるだろうかと。」


「でも、日本のデザインはいつもシンプルでモダンで、ポテンシャルがある。優秀なデザイン思考がそこにあるはずよ」


「確かに、モダンでシンプル。でもそれが、『ソーシャル』という領域との接点を持つことが今までなかった。『ソーシャル』なものは、今まで社会運動とか草の根とか、ちょっと変わった人達がシュプレヒコールをあげているもの、ってつい最近まで思われていたのだから。自分のものとして『ソーシャル』な問題を考える体験が少ないのよ。」


「ふーむ、それはおかしいわね。だって、人は誰だって、『ソーシャル』な中で生きているはずよ。社会に生き、その問題に直面し、それに疑問を思う、というごく自然な行為。わざわざ途上国にいかなくたって、このNYには疑問を持つべき対象が山のようにある。」


「そう、この話をし始めると、日本の市民社会の成熟度について話さなければならない。でも今日は市民社会論を話しにきたんじゃないから…。

とにかく、そういった意識を持つことがないのかもしれない。いや、デザイナーに限らず、この問題が解決していく時に感じる個人的な体験としての、『面白さ』や『感動』に対して、自らの時間を貢献しようとする人々があまりに少なく、本当に関心が薄いのが現状のように思う。

マーケッターも、企業の事業決定を行うマネージメント層も。不思議なくらいに無関心な人が多い。社会に対して『無関心』でいることが許されて、それがステータスに響かないんだから、日本は。

そして、少数の起業家精神のある人やソーシャルビジネスオタクだけが、この問題を自分のものとして捉えているけれど、それ以外の人達はとってもクールに、自分の問題として考えられていないんじゃないかな。

ねえ、NYではどうやってこのムーブメントを起こしたの?」


「NYでももちろん大変だったのよ。別にNYだけでなくアメリカ全体でも。個々人の、動かす人がたまたまいて、たまたま繋がって、シンシアがそこに価値を見出した、というだけ。

でも、Design that mattersみたいな継続的な活動ができるNPOが存続して、一時的なブームじゃなく、人々がアクションを起こすことができる場を提供している。」


「日本もそうなるのかな?デザイナーからの反応がどうでてくるかは、この本が出るまで、本当に未知数なのよ。そう、蓋をあけなくては、何がでてくるか分からない…。」

。。。。。と相談をしていたのだ。




そして蓋を開けてみた。
2009年10月に出版をされ、11月には書店ランキングで上位に入っていると朗報を受けた。イギリスにいた私は、英治出版の高野さんに「どんな人が手にとっているんでしょう」と伺った。

意外にも30代男性が多いようですよ、との声。
社会人で、ビジネス上でも決定権が増えてきた層になる。


ふーむ。
それでもまだ実感がわかなかった。ほんとうに?誰が読んでいるの?


2009年11月になると色々な人から本サイトの「お問い合わせ」から連絡が来るようになった。毎日、毎日、沢山のお問い合わせ。


読んで面白かった、興味がある、いっぱい勉強したい。
もっと知りたい、もっと関わりたい。
これが自分の人生で求めていたものだ。

ひとつひとつ、お答を可能な限り、私の渾身の力で、お返事させていただいた。感動するメールも沢山あった。


その中に沢山の出会いがあった。


BOPラボを最終的に一緒に立ち上げることになったICUの高野くん。あまりにも色々質問が来るので、もう面倒臭くなって、お会いしましょうということでロンドンであったら(笑)、そのまま一緒にオンラインラボを作ろう、という話になったのだ。たった、4時間、コーヒーチェーンで座り込んで雑談していただけの話し合いの出来事だった。
それが今では200人を超えるメンバーが集まるコミュニティになっている。


それから日本産業デザイン振興会の矢島さん。
矢島さんは、この動きをデザインといった小さな枠組みでなく、新しい資本主義の在り方というところまで広げて考えてくださっていた。
12月に日本に帰国してすぐにお会いして、これからの時代、資本主義の在り方や大量消費社会についても少しずつお話し、色々なところで矢島さんの考えてらっしゃることがシンクロすることが分かった。
そこで、「最初は4人くらいの飲み会」だったのが、矢島さんが企画してくださったおかげで90名の人が集まる大宴会になり、このビジネスデザインに関係する人達が最初に集まり、顔を合わせるきっかけとなった。
このチャンスが本当に後の半年を変える出来ごとになったと思う。
それが12月23日に行った「BOPビジネスの製品・ビジネス開発ラウンドテーブル」だった。


そこに集まった「面白い人」たちが、今動き出している。大学の先生も、デザイン学科の学生たちも、企業のエンジニアも、そして若い学生や意欲にあふれた人達も。


ここでグランマの本村君も、皆と繋がった。彼は元々知り合いの知人で、彼がグランマを立ち上げる以前に私は1度くらい会ったことが合って、その時はBOPのBの字も話さなかった。その後2年して、たまたま凄くプライベートなことで連絡をとったら、本村君もこれに関心があるという。
「じゃあ、おいでよ。プレゼンしてよ」と言った。そしたら、彼はデザイン展をやりたいとプレゼンした。


不思議な縁が重なって、今に至っていると思う。




このデザイン展の会期が13日で終了する。

ツイッターでの動きをみる限り、このデザイン展の間中、熱狂した人々が沢山の繋がりを作ったことが分かった。
これが継続していく横のつながりとして残ることを期待したい。


そして、デザイン展の会期の最後の日に、私も日本に帰国し、今回のアクシスギャラリーのキュレーションをされた佐野さん、日本産業デザイン振興会の酒井さん、そしてグランマの本村君と最後のパネルをさせていただくことになった。


そこで今思っている疑問は一つ。
今、みんなと話したいと思っているトピックは一つ。


日本のデザインの強みは何だったのか。
そして、その強みを、いかにこの『ソーシャル』との接点で、昇華させ、新たなる強みにしていくのか。


『ソーシャル』との接点は、日本のデザイン思考に対し、イノベーションをもたらすのだろうか。


イローナが言う「シンプルでモダン」なデザインが持つ本質的な意味は何か。そして、そこになぜ日本の強みがあるのか。


私はモダン・デザインは民主主義だと思っている。フィリップ・スタルクが考えたのと同じように、そして、19世紀のモダン・デザインの祖であるウィリアム・モリスが考えたのと同じように。

そこにサステナビリティの要素が強く強く意識される時、社会性が持続していくために、民主的な社会が持続していくために、モダン・デザインが果たすべき要素は何なのか。


これは見栄えのデザインだけでなく、ビジネス全体でそうだ。
民主的な社会を、民主的なビジネスを、デザインできる日は来るのか。
そのビジネスとは、「収益」と言った喜び以外に、人々に対して、一体どんな「喜び」を提供してくれるものなのか。


今、そんなことを考えながら、2週間後にせまる会期終了への準備をしています。

明日15日に世界を変えるデザイン展で司会します

現在、中国北京からです。

中国北京行きの便に乗る前に決定したのですが(笑)
明日、15日の「世界を変えるデザイン展」で12:00から始まる3つのセッションで司会&ファシリテーションをいたします。
みなさんの質問を集めたり・・・って感じですが、どうぞ宜しくお願いします。

明日、会場でみなさんに会える方、楽しみにしています!

今から北京を出発します。久々に来たのですが、中国も変わりましたね。(ここ1年半くらいで…)

ミッション

自分に使命があると思える人は幸せだ、と、今回の渡航中、ずっと感じていた。

日本の昔の「一高生」や「帝大出」に与えられたミッションかもしれない。Nobles Obligeというのもそうかもしれない。
自分が持つ使命を意識する人の生産性と行動力は破壊的にすごい。


スラムにも農村にもそれがある。

自分が人間として最低最悪な生活環境から這い出る理由をしっている人は、自分の弟や妹にも同じ思いをさせたい。自分の姉や兄にも同じ思いをさせたい、と思う。
そして、友達にも同じ思いを、そして、この村の人々にも同じ思いを。そして、この国の人々にも同じ思いを。


それがミッションだ。


家族愛が人を作り、家族を愛するからこそ、ミッションが強くなる。家族を早くになくしたスラムの人々でさえも、その強いミッションを持つことができる。


そしてミッションは繋がっていく。
同世代の周辺の友人たちにも、そして、外国人である私にも。ミッションがある限り、繋がっていく。


私の今回のケニア滞在は、ミッションを繋ぐ作業だった。
そして、そのミッションを背負ったからには、やらねばならない。一度関わってしまった者として。


ミッションは希望を繋げてくれる。
その希望の明かりがどこからくるかを探して歩く作業が始まる。

お金よりもアイデアを。

「お金は全くない。私はね、500シリング出すのも苦しい。だけど、アイデアならある。」と言って、「yes, yes, we don't need money, we need ideas! you are most welcome!!」と言われる毎日を送ってます。


どこのスラムを歩いてもSafeです。なぜなら、「金はないけど、アイデアはある人」だから… (笑)


BOPイノベーションラボの威力をみせつけられたというか、ああ、そうか、こういう良さがあったんだと。
自分で何が何だか分からず始めましたが、高野くん(もうすっかりネット上で少し有名人らしい)と共にBOPラボをアイデアや情報の集まる箱にしようとしたのが最初で、そこから凄い面白いことになってきたことが分かりました。


今わたしがケニアでやっていることをざくっと紹介します。気が付いたら、こういう形に落ち着いていたのですが・・・

1.ケニアに行く。
2.BOPイノベーションラボのアイデアボックスをチェックする。
3.ケニアの現地の人と話して、アイデアボックスに入っている技術が使えるかどうかを検討する。
4.良いものもあれば、悪いものもあるので、取捨選択をする。
5.宿題をもらって帰る。こういう技術をください、というような宿題。
6.宿題をBOPラボにこれから投げる。


勝手に趣味でケニアに来たわけですが(笑)、この趣味活動がすごいインパクトを与えていて面白いなあ、と思っています。想像以上に良いインパクトです。


これも、質問魔の私+アイデア箱という組み合わせでできたからで、それによってBOPラボが世界に役立つ仕組みができつつあるのだから面白いです。人の欠点は生かせってやつですね。


私が繰り出す質問ぜめに対して、みんなが一度「????」になった後、次第に「これは面白いかも」と変わっていくのを見るのが面白い。


いきなり、現地の活動団体で働くケニア人おじさんの目に輝きが!!!!
Shining in your eyes!!


非常にエキサイティングな日々を過ごしています。
いろんな人の既成概念を壊しながら歩くのは楽しいですね。(私も、私の既成概念を壊さないと・・・)


目をキラッキラさせる人が勝手に増殖する世界を作ることが私の夢です。

心震える出会いというもの

センチメンタルなことを言うつもりは毛頭なくても、気が付いたらセンチメンタルなことも平気で言えるようになるのが途上国の魔力かもしれません。(笑 タイトルは少しおセンチになってしまいました)


ケニアで出会うべき人がいるとFさんから聞いていて、Rに会いました。Fさんはバングラデシュに共に行った仲間ですが、Rを繋げてくれた世界コネクターです。


Rはスラム街出身の女性。彼女は現在NGOで働きつつ、スラム街での人権活動やビジネス育成に携わります。


「どうしてこの仕事に就いたの?」
私がいつも聞く言葉です。What brought you here??


彼女は一息おいて、笑いながら答えました。これから長いお話が始まるわよ、という雰囲気をたたえながら・・・

You know, it was really really, really hard times....


彼女は笑みを浮かべつつ、自分が13歳で母を亡くし、2歳の妹を育てながら、無責任な父の下、15歳から働いて、スラム街で逞しく生きてきた様子を話してくれました。彼女は決して学校に行くのをあきらめず、何度も学校に行けなくなる瞬間があったけれども、絶対にあきらめなかった。

彼女が今笑みをたたえられるのは、今幸せだからです。自分の仕事を理解してくれる素敵なパートナーがいて、子どもがいて、生活がある。


シンプルな単語ですが、彼女の笑みの中に全てがありました。


彼女を見ていると、自分がしようとしていることが正しいか正しくないか、というよりも、自分の向かおうとしている方向性を既に歩く人を前に見ているような気がして、頼もしいのです。


そして、一方で、自分がなぜこの仕事をしているのかを彼女に話しながら思いました。彼女と自分たちは何も変わらない。
変わるのは服装や生活レベルや出す金額のレベルかもしれませんが、私はやはり女性がエンパワメントされる現場を見たい、それだけなのだと思います。そして、それは私の母の世代を思うからなのです。そして、それは小さい頃から私の母を見、私の友人たちの母を見、そして日本の女性の生き方をずっと見てきたから思うことなのだと思います。


マイクロファイナンスの会場でも、「日本での女性の状況はどうだ」と言われて、50代以前の女性の社会進出の話と共に、それ以上に高齢の世代における熟年離婚の話をしました。(笑)
「なんてシリアスな状況なんだ!」とケニアの人々は憤慨していましたが、日本ではなぜかトレンディドラマにされて、適当にごまかされた感がありますが、本当に深刻な社会問題だと私は感じていますし、この問題は全く解決していません。非常に根深い、根源的な日本社会の問題を表す言葉だと思っています。


50代になって子どもが手から離れた途端、「夫から自立する」と言う女性。
それはどういう意味なのか。結婚とは何なのか。自立する、ということは何か。今までどれだけ支配されていたのか。


一つ、面白い言葉があります。
エンパワメントのプログラムに参加しはじめようとする女性たちに最初に言う言葉です。


「あなた自身のことを考えなさい」
この言葉を繰り返し、何度も何度も、彼女たちに語るのです。


子どもがまだ学校だから、夫のごはんをつくらなくちゃいけないから、家事があるから、子どもの服を買わなくちゃいけないから・・・・。
こういう「いいわけ」を他人から引用する人生はやめましょう。


自分自身の人生のことを考えなさい。自分が何をしたいか、自分はどう生きたいかを考えなさい。自分の尊厳を大切にしなさい。自分自身が何を学びたいのか、どういう収入を得たいのか考えなさい。

こうして少しずつ女性たちは変わっていきます。内側と外側から。
そして、男性も変わっていきます。男性は自分たちの意思決定に女性を含めるようになり、家計の相談をするようになります。
この「意志決定に参加する」ということこそ、女性にとっての自信回復のなにものでもないのです。


これこそ、日本の女性にこそ必要なプログラムなのだと、私は思っています。


3月に日本に帰った時、非常に残念な思いをしました。年配の男性が沢山いらっしゃる席で食事をしたのですが、こういう言葉が交わされました。
「最近は女性の社会進出も進んだよね。10年前だったらあなたのような若い女性は、この席にはいないで、あっちの隅に座っていたんだから」
私はそれを聞いて、何とも言えない思いでした。
久々にこういうことを聞いた気がしたのですが、それは日本を離れているからでしょう。日本にいた時は日常茶飯事で聞いた言葉だったことを思い出しました。そして、この言葉に近いものを毎日見聞きしていた頃の、何とも言えないストレスを思いだしました。このストレスがどれだけ重荷だったかを思いだしました。
そして何よりも、こういった言葉が生まれてくる源泉はなんだろう、と思いました。

(イギリスに帰ってこの話をしたら、やはり「なんて無礼な人たちなの!」と憤慨されましたが 笑)


この言葉を聞いて、私はまだ「日本の女性」としては自信を持てないことに気づきました。


ケニアで元気に働く女性たちは頼もしく、強く、立派です。夜も朝も一生懸命働きます。そして、家族を支え、強く、かっこいいのです。一見すると、働いている女性の数は多く、日本よりも多いかもしれません。


私たちは彼女たちに沢山教えてもらわないといけないな、とRの笑みを見ながら思い、わくわくするのでした。

ケニア訪問: BOPイノベーションラボの下見?

明日からケニアに出発します。


ケニアのBOP関連で、と言えば、もう既に相当な数、様々な機関があるのですが、実はそういうところをつぶさにアポを取るようなビジットではなくて、ケニアのコミュニティビルディングを見てくるのが私の目的です。


もっぱら私の周辺にいる方は気づいていると思うのですが(笑)私は、エンパワメント・オタクでして、どういう形になれば人がエンパワメントされるか、そしてそれが職業や収入に結び付いていくのかを知るのが趣味、というわけです。


そこで、今回も趣味 兼 自己調査というわけで、ケニアを訪れます。


アフリカはエジプトをアフリカというのであれば二度目ですが、今まできちんとした受け入れ先を見つけていなかったため、訪れていませんでした。
(基本的に、私がBOP調査に行く場合は、行く先にしっかりとした受け入れ先を見つけていること、行く目的が明白であること、行った相手に邪魔にならないこと、訪問先にベネフィットを落として帰ってこれること、が条件なので、そこまでしょっちゅう旅をしているわけでもありません。)


今回はナイロビで行われるマイクロファイナンスの会合に顔を出した後、エンパワメントの事例を探しに、友人づてに聞いた良い活動を回る予定です。今回は都市部もあれば農村部もあります。両方を見ることは重要です。


非常にエキサイティングであると同時に、不安もあります。やはり公的な事業をビジネスにしていく上での困難が山積しているはずです。様々な社会的不安や怒りもあるはずです。少しでも分かるようになるべく人々の生活に接しながら、かつ、安全に行動することが重要なので、かなりの神経を使います。


2週間後にはどっと疲れて帰ってくることになるでしょうが、大きな収穫を得て帰ってこられるように頑張ります。


BOPイノベーションラボでも行きたいというメンバーが増えてきているので、その人たちといつか一緒に行ける日が来る時まで下ごしらえをしておきます。