リバース・イノベーションというよりも・・・

BOP層の住む世界から、TOP(Top of the pyramid) 層の住む世界と行ったり来たりしてきて、本質的に何が異なるかをすごく考えるようになってきた。

体や脳みそに与える影響を考えると、「情報量」という一言がいつも頭に浮かぶ。そして、「時間」。
「情報量」×「時間」があまりにも異なるのだ。


村の人々は、一つの情報から100のことを得ようとする。
例えば、「近くに学校ができるらしい」という情報から沢山のことを読み取る。


学校が出来るなら教員の職が出るだろう、子供達が集まるならユニフォームが必要になる、といった即座に思い浮かぶ収入源のこと。


それから学校ではどんなことを教えるのかを考えながら、それであれば自分の子供達がどんな仕事につけるようになるかを想定してみるという、夢をはせる作業。


そして、学校ができるためには建設業者が来たり、外部から色んな人が来るようになるかもしれない、ということで、わくわくする期待感。


本当に一つの情報の価値が重い。

だが、TOPの世界に帰ってくるたびに思うのは、情報が溢れていること、みなが今日起きたことに一通り目を通して、次の瞬間には忘れてしまうという術を見に付けていること。
体がそれになれるのに時間を要するのが分かる。


私たちが、なにかを判断するとき、それはどの情報に基づいているのだろうか。

これが誰誰にとっての幸せだ、と判断する時や、この商品・サービスを売るべきだ、と思う時、それは誰がどこで受け取った情報に基づいているのだろうか。


本当に毎回、気づきを与えてくれる。
私たちが生きている土壌は、うすっぺらい情報の上で、滑り落ちるようにしている生活だということに気づかせてくれる。
彼らが生きている土壌は、一つ一つの情報が沈み込むような世界で、モノとコトにきちんと対峙しながら生きなければ、サバイブできない世界であるということに気づかせてくれる。


どちらがいいかは分からないが、技術を逆輸入する、ということよりも、価値の重みや「情報量」×「時間」の差や、沈み込むような情報のあり方、というものに気づく。そのことの方が重要なのではないか。
こういうのも、リバース・イノベーションの一つとして価値化されてくるだろうなあ、と思う。