心震える出会いというもの

センチメンタルなことを言うつもりは毛頭なくても、気が付いたらセンチメンタルなことも平気で言えるようになるのが途上国の魔力かもしれません。(笑 タイトルは少しおセンチになってしまいました)


ケニアで出会うべき人がいるとFさんから聞いていて、Rに会いました。Fさんはバングラデシュに共に行った仲間ですが、Rを繋げてくれた世界コネクターです。


Rはスラム街出身の女性。彼女は現在NGOで働きつつ、スラム街での人権活動やビジネス育成に携わります。


「どうしてこの仕事に就いたの?」
私がいつも聞く言葉です。What brought you here??


彼女は一息おいて、笑いながら答えました。これから長いお話が始まるわよ、という雰囲気をたたえながら・・・

You know, it was really really, really hard times....


彼女は笑みを浮かべつつ、自分が13歳で母を亡くし、2歳の妹を育てながら、無責任な父の下、15歳から働いて、スラム街で逞しく生きてきた様子を話してくれました。彼女は決して学校に行くのをあきらめず、何度も学校に行けなくなる瞬間があったけれども、絶対にあきらめなかった。

彼女が今笑みをたたえられるのは、今幸せだからです。自分の仕事を理解してくれる素敵なパートナーがいて、子どもがいて、生活がある。


シンプルな単語ですが、彼女の笑みの中に全てがありました。


彼女を見ていると、自分がしようとしていることが正しいか正しくないか、というよりも、自分の向かおうとしている方向性を既に歩く人を前に見ているような気がして、頼もしいのです。


そして、一方で、自分がなぜこの仕事をしているのかを彼女に話しながら思いました。彼女と自分たちは何も変わらない。
変わるのは服装や生活レベルや出す金額のレベルかもしれませんが、私はやはり女性がエンパワメントされる現場を見たい、それだけなのだと思います。そして、それは私の母の世代を思うからなのです。そして、それは小さい頃から私の母を見、私の友人たちの母を見、そして日本の女性の生き方をずっと見てきたから思うことなのだと思います。


マイクロファイナンスの会場でも、「日本での女性の状況はどうだ」と言われて、50代以前の女性の社会進出の話と共に、それ以上に高齢の世代における熟年離婚の話をしました。(笑)
「なんてシリアスな状況なんだ!」とケニアの人々は憤慨していましたが、日本ではなぜかトレンディドラマにされて、適当にごまかされた感がありますが、本当に深刻な社会問題だと私は感じていますし、この問題は全く解決していません。非常に根深い、根源的な日本社会の問題を表す言葉だと思っています。


50代になって子どもが手から離れた途端、「夫から自立する」と言う女性。
それはどういう意味なのか。結婚とは何なのか。自立する、ということは何か。今までどれだけ支配されていたのか。


一つ、面白い言葉があります。
エンパワメントのプログラムに参加しはじめようとする女性たちに最初に言う言葉です。


「あなた自身のことを考えなさい」
この言葉を繰り返し、何度も何度も、彼女たちに語るのです。


子どもがまだ学校だから、夫のごはんをつくらなくちゃいけないから、家事があるから、子どもの服を買わなくちゃいけないから・・・・。
こういう「いいわけ」を他人から引用する人生はやめましょう。


自分自身の人生のことを考えなさい。自分が何をしたいか、自分はどう生きたいかを考えなさい。自分の尊厳を大切にしなさい。自分自身が何を学びたいのか、どういう収入を得たいのか考えなさい。

こうして少しずつ女性たちは変わっていきます。内側と外側から。
そして、男性も変わっていきます。男性は自分たちの意思決定に女性を含めるようになり、家計の相談をするようになります。
この「意志決定に参加する」ということこそ、女性にとっての自信回復のなにものでもないのです。


これこそ、日本の女性にこそ必要なプログラムなのだと、私は思っています。


3月に日本に帰った時、非常に残念な思いをしました。年配の男性が沢山いらっしゃる席で食事をしたのですが、こういう言葉が交わされました。
「最近は女性の社会進出も進んだよね。10年前だったらあなたのような若い女性は、この席にはいないで、あっちの隅に座っていたんだから」
私はそれを聞いて、何とも言えない思いでした。
久々にこういうことを聞いた気がしたのですが、それは日本を離れているからでしょう。日本にいた時は日常茶飯事で聞いた言葉だったことを思い出しました。そして、この言葉に近いものを毎日見聞きしていた頃の、何とも言えないストレスを思いだしました。このストレスがどれだけ重荷だったかを思いだしました。
そして何よりも、こういった言葉が生まれてくる源泉はなんだろう、と思いました。

(イギリスに帰ってこの話をしたら、やはり「なんて無礼な人たちなの!」と憤慨されましたが 笑)


この言葉を聞いて、私はまだ「日本の女性」としては自信を持てないことに気づきました。


ケニアで元気に働く女性たちは頼もしく、強く、立派です。夜も朝も一生懸命働きます。そして、家族を支え、強く、かっこいいのです。一見すると、働いている女性の数は多く、日本よりも多いかもしれません。


私たちは彼女たちに沢山教えてもらわないといけないな、とRの笑みを見ながら思い、わくわくするのでした。