オープンソース、Free、放牧、プロボノのビジネス

昨日の「世界を変えるデザイン展」の最終日カンファレンスでは、スタンディングオベーションで終了した。
日本で、スタンディングオベーションで終わるカンファレンスなんて見たこと無かったので、すごい!と思った。


ちょっと涙が出そうだった。いや、本村君は泣いてたかもな!
私は実は、カンファレンスが始まる前に、日本産業デザイン振興会の矢島さんに久々にお会いしたときに既になきそうだったのだけど。


このカンファレンスの内容は充実したものだったと思う。

例えば、「デザインとは何か」ということを、デザイナーだけの集まりではなく、3分の2以上がデザイナーではない人たちの集まりの中で語られる、という現象がおきた。人々が生活の中で、デザインやデザイン思考について考えるきっかけを持つようになった。デザインは見かけのデザインではなく、本質の構造の配置であり、所得の分配であり、システムの構成を考えることであることに、一定の合意が得られたカンファレンスだった。


それから、「オープンソース」ということについて、ITオタクではない人たちがここまで真剣に議論し、自分たちの生活の中で、オープンソースがどう影響するかを考えた。Web2.0をアナログで実践する世界がどう来るのか悩んだ時期が2〜3年前にあったのだけど、それが実地で起こり始めている感じだ。

特に、昨日のカンファレンスで、どんな反応をするだろう、と思ったのが大企業に勤める人々だ。自分たちの生産や企画のプロセスの中に、ほんとに「オープンソース」的な要素は入れられないのか?事故の対応や責任範囲などの話がでて、色々反論が出た。でも、それでも「それって、既成概念がおかしいんじゃないの」とNosignerさんは投げかけていたように思う。

メーカー保障って書いてあるけど、私も一度も完全にメーカー保証してもらったことなど少ない。結局、「ここから先はお客様の責任ですから」と言われているのが現状なのに、なぜそこまで事故と責任にこだわるのか。
(それは、結局リコール騒動がおきてしまった時の損失が馬鹿にならないからだろうと、メーカー勤務の夫を持つ私は思うが・・・)

彼の言葉の中で私がとっても印象的だったのは、「知財というものの構造を時代に合わせて変えるべきだ」という話をしたことだ。私もそう思う。


クリエイティブ・コモンズは、著作権を分割し、選択することができるようにし、自分がとりたい責任範囲までを表明できるシステムを作ってくれた。
このサイトの文章だって、クリエイティブ・コモンズに守られているから、私は書くことができる。悪用されないことを人々の良心に任せ、また、良用してもらえることを期待しながら。多くの人がコピーしたりRTしたりするのはまったく問題ない。出典さえあれば、その言葉のオーナーがだれであるかはっきりさせておいてくれれば。


3月頃にインドで「性善説のビジネスと性悪説のビジネス」という話をしたことがあったのだが、性悪説のビジネスがパテントを保護し著作権にこだわり、知財流出を避ける手法だ。でも、性善説のビジネスだってあるのだと思う。それが勝手にコピーされて普及し、勝手にものごとが起き、勝手にみんながそれを「すごい」と言ってくれるブランドができあがる。昨日、カンファレンス内でも、GKデザイン機構の田中さんがおっしゃっていた。良質で高品質でかっこよくて誰もが持ちたいからコピーするだけなのだ。それならコピーされるくらいみんなが賞賛する商品を作りたいよね。ものづくりの本望だよね。

知財イノベーションの問題にぶつかっている。だが、解決策があることをオープンソースの世界で生きてきた私たちの世代は知っている。楽しくて、イージーゴーイングな開発やものづくりの現場があることを。私もNGOオープンソースの親和性を語れる世代の一人だと思うけれど、無料技術のすごさは計り知れない。私はNGO時代に無料技術で一日1万人を動員し、アドボカシーをしてきたのだから。

でも、この壮絶な効果を知らない人たちもいる。知らない人たちを知らんふりできなくなってきたのだと思う。


協働。


だから私たちはパートナーを探すのだ。自分と違う人だからこそ刺激をくれるし、刺激を与えられる。オープンソースの世界がただのオタクるつぼ化してしまわないように、私はたくさんの「今まで関わらなかった人たち」が巻き込まれる世界を作りたいと思う。それが今までオープンソースを自分とは無関係のものと思ってきた人たち、大企業の生産過程・企画過程であり、そして、貧困層だ。彼らが楽しんで参加してくれるのであれば、それがベストだ。



先日リコーの瀬川さんに「槌屋さんは日本総研にとってFREEのビジネスモデルだね」と言われた。最初はなんのことかわからなかったが、そういえば会社では「放牧系」と呼ばれている。そのことかな、と思った。


無料配布でぺちゃくちゃと外でしゃべってくる上に、BOPラボというオンラインのコミュニティまで作ってしまって(会社にしてみれば知見を垂れ流しているんじゃないかとハラハラものだろう)し、ケニアまで自腹切って行っているし(火山灰の影響で3週間とか通常のビジネスではありえない長期滞在だし)、あきらかに、ちょっと「会社としては許しがたい」異常行為に写るのだろうなと思う。
色んな抜け道があったのでたまたま出来ているのですが(パートタイムの研究員なんです、とか、イギリス現地採用なんです、とか)それも差し置いても、なんだか皆こんな働き方できるのか、といぶかしげに思う。なので、「槌屋さんはどう会社で位置づけられてるんですか」と言われるのだけど、「ノマド社員でしょうかね…」としか答えようがないのであります・・・。

この場を借りて言えば、会社は非常に理解してくれており、そして、懐が大きいことを感じ、大変感謝しております。その恩返しも含め、身を粉にして働いておるつもりです。本当に。そういった意味で私は自分の会社と自分のチームが大好きで、あの人たちのためにがんばりたいと思うのは、彼らが私を理解してくれているからだと思う。ここに相互のロイヤリティが生まれているのは確かだ。


でも、FREEスタイルの無料配布のおかげでチャンスがいっぱい出来た。たくさんの面白い人に会うことも、この無料配布の仕組みとフットワークがなかったらできなかったことだ。チャンスがいっぱい降ってくる。たくさんの人と友達になれる。同じミッションを持つ友達が世界中にいっぱいいるという世界は、なんて住みやすいのだろうか、と思う。ビジネスをするにしても、生活をするにしても、楽しいはずだ。

古い「総研系」やら「コンサル」やらの考えは捨ててしまった方がいいと、私はずっと思っていたのだが、あまり会社にそのシフトが出来る人は少なくて、私が結果そうなってしまっただけ。
情報産業なんてレポートが高く売れる時代じゃないのだから。コンサルだって代替可能になるほど世の中にあぶれている世界なのだから。私が「これほしい」と思うのは、そういうものじゃないから、わかる。


私はだからプロボノを推奨する。私自身、プロボノと仕事の区別が付かないくらい沢山のプロボノをしてきて、それが全部楽しかったし、少ないかもしれないけど小銭稼ぎになったものもある。NGOや地元のNPOや友達の組織の手伝いやアメリカ組織の日本でのローンチ…、本当に色々。そこで英語が生きる英語へとブラッシュアップされていったし、人とコミュニケーションすることがうまくなったし、なによりもおばちゃん力がついた。この活動が私を「エンパワメント」してくれたのだとつくづく思う。


BOPビジネスやら新しいことをしたい人たちは、沢山ボランティアして、沢山プロボノをするのが入り口だと思う。
オープンソースの考え方で働き始めていくには、最初に入っていく道はそこで、そこで死ぬほど沢山のことを学ぶ。業界のこと、貧困のこと、人的ネットワークのこと。
その上で、少しずつ自分の本業や強みと抱き合わせられることをしていくのが一番効率がいい。最初から本業としてBOPビジネスで金を稼ごうなんて思わないほうがいい。それは百戦錬磨の相当なテクニックが必要だからだ。


というわけで、昨日カンファレンスに来た、これからこの「世界を変える」ビジネスに入っていく人たちには、どんどんがつがつとプロボノと本業を両立させる超忙しい毎日を送ってもらいながら、そこで自分の能力の限界を知ると同時に、沢山のネットワークをしてもらって、どんどん自分から発信する側になって言ってほしいと思いました。

それが最初の入り口で、そして、それが正攻法なのではないかと思います。


体調が絶不調でもう声が出ない日本滞在ですが、残すところあと1日。がんばります。