ミッション

自分に使命があると思える人は幸せだ、と、今回の渡航中、ずっと感じていた。

日本の昔の「一高生」や「帝大出」に与えられたミッションかもしれない。Nobles Obligeというのもそうかもしれない。
自分が持つ使命を意識する人の生産性と行動力は破壊的にすごい。


スラムにも農村にもそれがある。

自分が人間として最低最悪な生活環境から這い出る理由をしっている人は、自分の弟や妹にも同じ思いをさせたい。自分の姉や兄にも同じ思いをさせたい、と思う。
そして、友達にも同じ思いを、そして、この村の人々にも同じ思いを。そして、この国の人々にも同じ思いを。


それがミッションだ。


家族愛が人を作り、家族を愛するからこそ、ミッションが強くなる。家族を早くになくしたスラムの人々でさえも、その強いミッションを持つことができる。


そしてミッションは繋がっていく。
同世代の周辺の友人たちにも、そして、外国人である私にも。ミッションがある限り、繋がっていく。


私の今回のケニア滞在は、ミッションを繋ぐ作業だった。
そして、そのミッションを背負ったからには、やらねばならない。一度関わってしまった者として。


ミッションは希望を繋げてくれる。
その希望の明かりがどこからくるかを探して歩く作業が始まる。