やっぱり、どうしても、言いたい・・・ 技術偏重は心配だ・・・

昨日、自分の会社でBOPのセミナーを開催した。約2年ぶり。会場にいらしてくださった方々、本当に有難うございました。
昔に比べると自分たちの知識も経験もようやく少しマシになったな、という感じだけれど、特に経験値が増したのはよかった。
弊社のディレクターが「前職含め7−8年の研究活動」と言ってくれたこともうれしかったが、そんなに長くなるのか、そういえば・・・と思った。(なんだか、一つのことしかしていないなあ・・・)


時間が短くて、言葉としては漏れていたことも沢山あった。なので、会場にいらした方などどんどんフィードバックをいただければ、追加情報や個別・具体的な情報は後ほど沢山お話ができると思います。


昨日のセミナーでも述べたのだが、実はここ半年、かなり気になっている動きがある・・・
まだ黙っていようと思ったのだが、やっぱり昨日のセミナーでスライドにして言ってしまった・・・
(会社のメンバーは、「思ってるなら言っちゃえ言っちゃえ」といってた笑)
まず、BOPに関する誤解、それから、技術偏重に対する懸念。この二つは今の動きの中で要注意してみている。


特に技術イノベーションの件。技術イノベーションへの過度な期待は、本当に机上の空論で終わる怖さがある。だから、気をつけたい。
さらに私が警戒している理由は、アメリカから出てくるBOPの議論の影響をもろに受けている感があり、現場ではそこまで聞かれないストーリーだからだ。つまり、世界的にみると地域限定的なディスカッションなのだが、日本に来ると大盛り上がりになってしまう。もっと全体で議論しないといけない。


私は技術も確かに面白いが、組織やヒトが変わることのポテンシャルの方が高いと思っていて、そちらが面白いと思っている。
そんなことも踏まえて、昨日のセミナーでは淡々と思っていることをお話した。


さて、数週間前にドラフトボックスに放り込んでおいた、ブログ記事を、この際、アップしようと思う。


懸念を感じ始めて・・・

半年くらい前からずっと気になっていたのが、BOPビジネスを語る潮流の中でテクノロジー重視の傾向がどんどん強まっている。
私もテクノロジーを信じていないわけではないし、「世界を変えるデザイン」も高野さん(英治出版)と、日本の人たちはものづくりが好きだから、多分アピーリングだろう、ということで最初の導入編として編集した。それに、槌屋さんが最初に技術の話を持ち込んだんでしょう、と言われることも少なくない。


技術の話からBOPを語るのは、ドラえもんを語るように未来があって、希望があって、わくわくするものだ。魅了することこの上なく、尽きない妄想が広がる。今まで不可能だと思ってあきらめてきたことに、一筋の希望の光を与えるのが、技術とBOPの話が交差する地点だった。


特にイノベーションとしてBOPの課題を捉える活動を新たにつかみ直すこと、これに光があると思っていた。
つまり今までは「貧困解決」とか「新自由主義反対」といった言葉で語られてきた草の根の活動の多くが、一部の人たちだけの心の吐露や拠り所になるのではなく、多くの人々が共感し、自分たちに「できること」を考え始めるきっかけを与える・・・。遠いアフリカの大地の話ではなく、近く自分の身の回りにおこることと水平に並べて考えることができるようになる・・・。
そういう光があると思っていた。なぜなら、その光こそが多くの社会運動の中で何度も繰り返し繰り返し、失敗してきたことだったからだ。ファンドレイジングやキャンペーンをやる度に、何度「日本人が、あなたができること」を意識しただろう。市民に貧困という言葉の意味を分かってもらうために、何度「遠いアフリカの話ではなくて、これは社会構造の話であり、あなたと繋がっている」と話しただろう。
でも、言葉で話しても、実現されたプロジェクトや物を見せられた時の方が衝撃が大きい。
だから、プロダクトから入ろう、そう決めたのだった。(そりゃ、失敗だったかな、と思うこともありますよ・・・笑)



技術讃歌ではない、人を中心に考えること、とは何か?

だが、「世界を変えるデザイン」の本質は、テクノロジー賛歌ではなかった。むしろ、テクノロジーを支える人たちの人間くささと、現地の人たちと積み重ねるトレーニングと対話、自分達の教育を見直し、現地で行われる教育を見直し、知識について考え直し、思考を繰り返す地道な努力、それを描いていた。


テクノロジーは決して途上国や被災地の人々の問題を一気に解決するようなミラクルソリューションを提供するのではない。テクノロジーを導入することで貧困は減らない。テクノロジーを使う人々の知恵と心と道徳と。人が使うことによって、人がそのテクノロジーを生み出す過程で活き活きとすることによって、初めて貧困は減るのだと思う。つまり、プロセスが貧困削減に役立つのであり、プロダクトは最終的なソリューションではない。


彼らが植物を育てたり、自分達の家を直したり、水を運べるようになったりする過程で、色々悩み、色々試行錯誤する。そのプロセスを一緒に忍耐強く行っていくことが、今まで無かった取り組みだと思っていた。それがイノベーションを生み出すプロセスである。
新しいテクノロジーを新しい地域に導入すること自体は「イノベーティブ」ではない。



本当のイノベーションは技術でなく、そのプロセスにある

今の技術にもとづいた言説を見れば分かるように、多くのBOP向けに利用されている技術が「古い技術」「枯れた技術」「眠っている技術」と表現されており(実際のところ古くもなく、眠ってもいなくて、枯れてもいない・・・この表現は全て富裕層マーケット(TOP)におけるポジションしか表していない)、そして、その多くが新しい組み合わせを作り出すことで再利用され、再加工され、新しい価値を生み出しているだけだ。
マイクロファイナンス×モバイルペイメントも、新しいかけ算の方程式をみつけただけだ。
組み合わせは新しいかもしれないが、技術自体にイノベーションは起きていない。
組み合わせを刷新するために求められたものは、二つのかけ算項目の間を調整する力であり、一つではなく複数で作り上げる過程である。つまり、新しい組み合わせを作り出すために必要なプロセス、がイノベーティブであり、人を活性化させるのだ。


ここではっきり言おう。テクノロジーでは貧困は解決しない。
貧困は人が作り出したもの。人の手で解決させるのである。
人の手が加わり変わって行くのはプロセスである。
プロセスに注力すべきだ。人が育ち、人がつながり、人が言葉を発する。そのプロセスだ。


危機感を抱かせる国際的な動き

なぜこんなにも危機感を覚えながら警鐘を鳴り響かせているかというと、ここ数ヶ月で様々な動きが一気に動き出し、その裏側の様子が見えてきたからだ。陰謀とかそういった意味ではないのだが、全ての動きが一つの円で結びつきを持って、私の目の前にたち現れてきた。ミッシングリンクが繋がってきた。


アメリカと欧州で今にわかに話題になっているのが、開発援助機関(アメリカのUSAIDとイギリスのDFID)の両方で技術指向のファンドが設立されたことだ。この動きは1年以上前からずっと始まっていて、各開発援助機関の中でむくむくと動きだしていたのだが、アメリカにおいて、ここまで技術とビジネスの見事な融合が支持される形になろうとは想像していなかった。


追い討ちをかけるように入ってきた噂話。バンキモン氏がビルゲイツ等の「成功者であり、最高額の寄付をしているフィランソロピスト」たちを「貧困削減のSuper Heroes」という名において、UNのアドバイザーにしたこと。これがUSAIDや他の援助機関にも影響しているという噂も耳に挟むことが多くなった。これによって、「ビジネス界で成功した人たち」の主導によって、技術オリエンテッドな援助プロジェクトにはグラント(無償援助金)がつきやすくなる、という動きが起こっている、らしい。噂レベルの話だが・・・。(※もともとよく日本のODAは技術ばっかりで、日本企業の技術が優位にたつものだから、と現地や外国の援助機関からは批判されていたものだが・・・)

本当かどうか知らないし、これは、ここ数ヶ月表面化してきたことなので、単なる短期的なトレンドかもしれない。
だけど、そういう噂話が出ること自体、何かの表れだな、と少し危惧している。


美しい言葉の背景には思惑がある

さて、うって変わって、今度は会社が開発課題に対して打ち出すCSRやBOPに関連したスローガンの裏側について考える話。ここにも閉塞的な雰囲気が流れ始めている。数年前の自由闊達な空気が自粛気味だ。

「企業が開発援助においてできること」を問うセミナーやディスカッションはアメリカでもイギリスでも多数行われているが、その多くは、「プロダクト」と「雇用」が最高の貢献だということで終始してしまっている。「企業ができる最大の社会貢献は、プロダクトと雇用!」というスローガンやCSR担当部長の言葉に大絶賛の賛辞がのべられ、リーダーシップがあるとかなんとか言って、大喝采がおこる。
ほんとにこれがリーダーシップなのか??


ここまでシンプル化されて安易なディスカッションに終始するのは、企業はそれ以上のリスクをとりたくないことの現れかもしれない。もしくは、それを言外に言ってのけ、そしてそれ以上やってくるアプローチから自分たちを守るためかもしれない。私は、何度も美しい言葉とリスクヘッジをしているこうした企業の担当者のところへ行って話をきいたことがあるが、新しいアイデアを受け入れる要素は非常に少なかった。「そういう考え方もあるよね。でもうちは違うから。」「でも、あの言葉の意味はそういう意味にもとれますよ?」「あれは、僕たち自身の定義でね・・・」と抽象的な言葉がならぶ説明がはじまる。
最近のアメリカと欧州の多国籍企業のスタンスを見ていると、なぜもっと突っ込んで正直に話さないのか見ていてもどかしいくらいだ。そして、皆その美しい言葉で満足してしまっているのだ。


日本の会社の中には、自分の会社が「陰徳」を積んでいるかどうかを自虐的なまでに何度も問い直す会社もあるのに対して、(もちろんそうではない会社も多々あるが)欧米企業の多くが、安易に自分達の貢献を美しい表現に言い換えてみて自己完結している姿は、時々見ていてイライラすることさえある。
それがこの1年間、欧米に拠点をおきながら多国籍企業を見てきた、正直な感想だ。多くのCSR関係者やSRIアナリスト達が同じ思いを持っているかもしれない。


BOP関連の海外のコンサルタントとともよく話が合うので連携するのだが、彼らも「最近は、みんなネスレ、ダノン、マイクロソフトDSMとか決まりきっているでしょう?他にチャレンジしようとする気がないんだよ。つまらないよね。仕事をしていても、大体、あ、あの会社のあのプロジェクトね、ってしってることばかり。」
つまり、もうブランドの一つとしてBOPなんて捉えられているから、既に確立されたブランド領域に改めて参入してくる会社の方が少なくなってきたということか。


結局、この論の行き着くところは、途上国と企業の新しい関係性を模索するような、度量のある試みが行われずに終わってしまい、小さくまとまってしまう。
上に延べたような大手企業で先進的な企業以外の、他の企業たちの落ち着きどころは、PPP(Private Public Partnership)という名の下に、現地政府とMOUを結び、企業が最大に貢献できる「プロダクト」と「雇用」を提供する。つまり、企業が生産工場を置き、商品を売る、ということである。(これならリスクをとらずにできるし、上層部にも最新トレンドのBOP事業にも足をのばしてやってます、といいつつも、他事業部から白い目でみられずに済むからだ。それなら無理してやらなくていいのに・・・。本当に、何度も言うが、「全ての企業がBOPビジネスをする必要なんて全然ないのだ!)


そして、それを無償で支援するグラントファンドができつつある。最高のプロダクトをNGOや現地政府に売りつけることもある。この無償グラントのおかげで補助金ビジネスになってしまった商品が、途上国市場を跋扈し、そのおかげで市場が破壊される可能性も十分高い。
(これはOLPCネグロポンテ氏がIntelのやり方を批判した時にも同じことを言っていた。結局OLPCのプロジェクトは現地で補助金ビジネス化したIntelの格安無償配布PCに勝てなかった。自由競争は行われなかった。そして、この間もCSR Europeにて出会ったIntelの担当者と話した時も、やはり彼らは自分達のプログラムは、「現地政府が呼んでくれた土地にしかいかない」とはっきり言い切った。つまり補助金やそれに近いコスト削減のお膳立てが無い限り、絶対に自分達の商品をディストリビューションしようとは思っていないのだ。)



Beyond the line ーその先を超えて行くリーダーシップはどこに?

実はUSAIDやDFIDの考えていたファンドはもっともっとイノベーティブで面白いはずだった。(当初、取材する機会も色々あり、話を聞きに行った時はエキサイティングなムードに包まれていた)だが、当初のアイデアや検討のプロセスの中で投げ込まれた沢山のアイデアは、お互いにその良さを相殺しあい、つまらない淡白なものが出来上がってしまったように思う。結局現在では国連のスーパーアドバイザーになったビルゲイツが親指をたてて Good job! Well Done! とほめてくれるようなファンド構想に落ち着いてしまったような気もする。


これは世界各国で起こっていることで、USAIDやDFIDだけに限ったことではない。それに、開発援助側にずっといた方は特に「いまさら何を言っているの、今までの法則と何も変わらないじゃない。(今までだって企業誘致のために開発援助は何度だって利用されてきたでしょう、考え方が甘すぎるよ)」というだろう。それに、ビジネス側にいる人たちは、「それのどこが悪いの、プロダクトと雇用がなければ経済発展はしないでしょう(大体、我々があの国の発展をひっぱってきたんだし・・・)」というだろう。


私も、この意見には、これ以上賛同できないくらい賛同している。こうしたスタート資金がなければ、プロジェクトの多くははじまらないし、こういったファンドやテクノロジー導入を支援する基金が存在しなければ、NGOや現地の市民社会はいつまでたっても、本当にビジネスに繋がる機会を手にすることができない。
いくらコミュニティが成長して、キャパシティビルディングをきちんと形成できたとしても、それがマーケットに繋がる道筋を持たなければ、停滞期/プラトーにはいる。それは事実であり、だからこそ、私も仕事ではマーケットとコミュニティを繋ぐ仕事をしている。


それでも、「でも、でも」とクチにだして言う私の懸念は、このあまりにシンプル化された議論にはミッシングポイントが多いということだ。
確かに、「プロダクト」と「雇用」の生み出すインパクトは大きい。なくてはならない。
だが、「企業が開発援助においてできること」は決して「プロダクト」と「雇用」だけではない。企業はもっともっと出来るはずだ。自分たちでひいてしまった、限界線を超えて。人を育てることやコミュニティと対話すること、ビジネスのプロセスを変えながら適合していくことや、ローカルの知恵を再認識して技術に取り入れていくこともできる。自分たちの今まで作り上げたものを見直し、否定し、受け入れ、反省し、更に前に進んで変わって行くための勇気を持つことだってできる。社内の人材を活性化することもできるし、現地政府に1企業としてロビーイングを行い透明性を求めることもできる。ソーシャルミッションを持った人たちが広がるようなカタリストになることもできる。
そこに境界線はないのだ。誰も、定義なんてしていない。


企業はもっとできるのだ。今見えている自分達が勝手にひいたラインを超えて、さらに先に行けるはずなのだ。
(この3週間で何度色んな人に言って、叫んで歩いただろう。"Business can do more! They will notice that we can do more beyond this line!")


それが本当に、BOPビジネスが企業にとって意味するものであり、BOPビジネスがもたらしてくれる「イノベーション」の意味するところだと、私は勝手に思っているのだが。
これは私の勝手な希望でしかないのだろうか?


この論考を書くにあたって、正直なところ勇気がいった。なぜなら、多くの心ある人たちを批判してしまうことになるかもしれないと思ったからだ。でも、これは批判ではなくて、私自身の反省でもあるし、そして、やはり、と見直す機会なのだと思っている。

この文章を書く前に相談したら、書き方を工夫すれば、皆わかってくれるんじゃないかしら、とアドバイスをくれた友人に、本当に感謝している。そして、考え続けて、結局数週間お蔵入りだったのだけど・・・。笑

にしても、まだ頭が整理されていないのか、文章が変ですかね。ライブ感を楽しんでいただけるとありがたいです。(いい意味で・・・笑)
さまざまなフィードバックをお待ちしています。