バングラデシュから ソーシャルファイナンスの土壌とは。

現在、実はバングラデシュにおります。2週間強の滞在ですが非常に有意義な時間をすごしています。「有意義」とは何とも月並みだけど、本当にこの国の未来を感じさせる信頼でき、誠実で、温かみのある素晴らしい人々に出会えていることが、その大きな理由。


実はバングラデシュや南アジア地域には、あまりにネットワークがなくて今まで来たことがなかったので、今回2週間、マイクロファイナンスの研修に参加し、滞在することによって、沢山の友人ができました。


右の写真は、今回であった中でも最も私が「Energized」された人々。私の隣にいる人がルナ、奥にいるのがシーマでした。
女性たちがどうやって男性から権利を獲得してきたのか、彼女たちに教えてもらいました。(彼女たちは団結することによって、奥さんに暴力をふるった男性などがいたら、みんなで集まってその人のところに行き、なんだかんだと問い詰めるのだそうです 笑)本当にたくさんの知恵を授けてくれる方々。
女性同士ということもあって、私たちが「そうだよね!男の人がこういうことするでしょう?そうしたらどうするの?!」と話すと、「そうそうそう、そういうときはこういう風にするんだよ」と、話が盛り上がりました。女性はどこにいってもガールズトークで盛り上がるものなのですね・・・(笑
みんなで、なんだかんだと大笑いしながら、農村では過ごしています。


バングラデシュでは、ソーシャルファイナンスの話をすると「新しい資金」という意味でも関心のある人が多い一方で、マイクロソーシャルファイナンスであるマイクロクレジットについてはやはり長年大きなディスカッションが行われているため、立場がいろいろです。YesともNoとも言える現状を作り出したのは、何はともあれ、「援助漬け」と呼ばれるほどの援助が投入された結果であり、その援助が投入される結果を導いたのはパキンスタンによる占領と独立後の様々な政治における難しさだったのだと思います。


この歴史からの経緯は議論がたくさんあるところではありますが、昨今ではバングラデシュのソーシャルビジネスにばかり関心がいってしまって、なかなか真剣にディスカッションされることが少なくなり、それよりも「とにかくビジネスを先に回そう、考えるよりも行動だ」と思いたくなる現状があるのも確か。
様々な要因が、非常に不安定に、バングラデシュの現状を支えている気がしています。


現在読んでいる本です。ドイツの援助機関に勤めていた作者が書いた書物ですが、圧倒的なまでの反省がこの書物のリアルさを増しています。

死を招く援助―バングラデシュ開発援助紀行

死を招く援助―バングラデシュ開発援助紀行


こうしたバックグラウンドなしに、マイクロ・ソーシャルファイナンスの現状を探るわけにはいきません。ビッグ・ソーシャルファイナンスとして流れ込んできていた援助の資金というものが与えた様々な影響、そして、そのファイナンスでは絶対にカバーしきれなかったものを、マイクロ・ソーシャルファイナンスであるマイクロクレジットがどうカバーしようとしているのか、それを合理的に探るということが重要です。



(これについては、少し落ち着いたらまたしっかりと腰を据えて書くことにします。今月は異国に引っ越しをし、バタバタと飛び回る月になっているため、なかなか落ち着いてブログを更新出来ていません。)


バングラデシュの現状については、「BOP戦略フォーラム」
http://bopstrategy.blogspot.com/
のサイトが非常に詳しいので、アップデートを参考にしています。政府の動向や産業の状況なども非常に詳しいです。



最後に。私の大好きな詩人であるタゴールについて、こちらでベンガリ人達と話す機会が多々あります。


タゴールの詩が大好きだというと、皆、目を輝かせて、面白がります。こちらの血に入り込んでいるのでしょう。
私は中学頃にタゴールについて興味を持ったのと、大学時代に白樺派の社会運動について調べていた時期にその関連性を知りましたが、文学の一つとして、ベンガルへの愛がふんだんに盛り込まれ、この地域がかつて繁栄し、かつて人々を豊かにするインダス文明の一つとして栄え、そして、様々な行商ルートの拠点として知識が集約していた時代の蓄積を感じます。そして、この地に来るとわかるのですが、みずみずしい緑と雨による豊かな恵み、自然の強さが元々はそこにあることを知ります。ベンガルを母として愛するタゴールの詩を一層強く感じられます。


一つ、素晴らしいタゴールの詩を本日いただいたので、こちらに載せましょう。



I lived on the shady side of the road and watched my neighbours gardens across the way revelling in the sunshine.


I felt I was poor, and from door to door went with my hunger.


The more they gave me from thier careless abundance, the more I became aware of my begger's bowl.


Till one morning I awoke from my sleep at the sudden opening of my door, and you came and asked for alms.


In despair I broke the lid of my chest open and was started into finding my own wealth.


Rabindranath Tagore.


物乞いをする自分のままでは、自分の中に豊かさは見つけられないのです。