ソーシャルビジネスとBOPビジネス

ようやく一日一言書き書き体制に戻れたので、その間にどんどん書いていこう。(もともと、そんなに書き書き体制だったかどうかは怪しい・・・)

さて、なんだかんだ言われているソーシャルビジネス。
実は、私は開発援助の言説について、日本の市民社会の側から見続けていて、「なんだろうなあ・・・」という違和感があった。

違和感はこちらでもロドリゴとの会話の中で書いた。
http://d.hatena.ne.jp/shinoise/20090607/1244334169

で、頭の整理をしようと思った。



本当は、「ソーシャルビジネスが訴求する空間」という点については全然詰め切れていないと思う。私はここで「ソーシャルインフラ空間」として、ライフライン社会福祉も包含されるとしたけれど、おそらく精査が必要だ。
また、BOPビジネスと呼ばれるものについては、この定義は曖昧すぎるので、あえて定義していない。BOP層を対象にしたビジネスだけを指す広義の定義と、ソーシャルインフラ空間に訴求するビジネスのみを指す狭義の定義があると思う。だが、このスライドではライフライン(たとえば、このスライドでは水供給事業)を提供する場合を取り出してみて、ソーシャルインフラ空間内で納めてみた。

バングラでなぜここまでBOPビジネスで取りざたされるようなビジネスが普及しているか、という話を誰かとしたことがあり、(昨日もAF財団でその話になったのだが)、根本的には政府・自治体が弱いことにある。私もPFI・PPPの仕事をしていたが、政府・自治体の能力を補完していき、民間のビジネス手法で補う形をとらざるをえない。PFI・PPPもソーシャルビジネスに入ると言えば、入るのだろう。

ひとつはっきりしていることがある。BOPビジネスをやっている当人たちは、日本の中で取りざたされているような『ソーシャルビジネス』のイメージを持っていないケースの方が多いのではないか?そこに需要があるからやっているし、それを改善することで自分の家族やコミュニティが良くなるに違いないというミッションや熱いハートは持っている。そして、実際問題、雇用がないのだから、それしか職がないのだ。自分で仕事は作りだすしかない。

また、一方、日本の場合の『ソーシャルビジネス』のイメージとしては、「公共の手が届いていないが、一定層の人のニーズがある分野」に対して、さらに訴求していくことだと思う。この「さらに訴求」するための追加的コストについては、ビジネスの対象によっても異なるけれど顧客が支払うのをためらうかもしれないため、本当に需要があるか最初は分からず、認知・啓蒙とともに広まる可能性があるものもある。
だが基本的には同じだ。たとえば障害者支援のためのサービスがあったとして、追加的コストを支払う云々よりも、そもそもそういったサービスが身の回りにないのであれば、そこには絶対的なニーズが存在する。追加的コストだろうがなんだろうが、支払わなければ、それ以上のはしごを登り、自分の生活をよりよくしていったり、人生を楽しんだりすることに支障を来すかもしれない。ここはすべて一緒である。

唯一のBOPビジネスとの違いはよりスケールアップが難しいかもしれないという点かもしれない。BOPビジネスでも同じで、追加的コストを顧客が支払うのをためらうかもしれないし、そのためにビジネスとしては沈没するものも出てきている。

ひとつは公共の担い手の部分だ。この根本理念は重要だと思う。誰もが公共の担い手になれる時なのだから。この発想の転換をうまく起爆剤にして、沢山のアイデアが放出されてくる時代になれば、日本ももっともっと強くなっていくに違いないと思う。