「起業家?・・・彼らは他にそうするしか手段がないんだ」

ブラジルにて大々的に起業家支援組織を展開しているAllianca Empreendedora のロドリゴにであった。彼とはマーシャルアーツの話などで盛り上がっていたのだが、彼の仕事の面白さを語りはじめ、二人は昼食の時間、ふたりっきりでランチホールに残ってしまうほど、さまざまなことを共有した。

ロドリゴの組織が支援するのは起業家たちだ。ブラジルの起業家率はなんと14%。日本は3%であるのにたいして、驚異的な数である。しかし、ロドリゴに言わせれば、「彼らは仕事がないから、自分たちで作り出すしかないんだよ。」

日本で社会的起業について若い層(というか私も含めた同年代の人たち)の間で、ものすごい勢いで賞賛の形で広まっていることに、私はずっと危機感を覚えていた。
感覚的なものなのだが、「I'm not comfortable」だ。

ロドリゴの話は真実を得ていて、「他に仕事がないから、仕事を、市場を作り出すためにやむなく起業をしている人がほとんどである社会」と、日本の差は大きい。

日本の若い人々が賞賛をし始めているのは、先進国でキャリアを上り詰めた人たちがくるっと方向転換をして途上国向けのビジネスを開始し、成功したケース。こちらはフィランソロフィーの傾向の一環としてたち現れている。多々の検証しなければならない側面はあるが、日本の若い人たちがそういった人々を賞賛する背景にあるコトバ・思想・概念とは何なのだろうか。

また途上国において実際にBOPのニーズに即したビジネスを開始しはじめた途上国出身の起業家にも彼らは会いたがる。ASHOKAなどが支援をしているし、ACUMEN FUNDなども有名になってきたからだと思う。ASHOKAも日本でフェローを探して積極的に活動している様子だし。

だけれども、やはりここで同じ起業家といってもまったく背景も素養も違うことをどのくらい意識できるだろうか。

日本の若い人たちが賞賛するのは簡単だ。賞賛されている人たちの奥にどのような過酷な生活環境があるかを理解するのもできないことではない。ただ、難しいのは自分たちの環境にそれを照らし合わせ、比較し、自分たちの熱意をどこにぶつけるかを考える時だ。
安易な答えでは安易なビジネス、持続しない形しか生まれない。

深く追求する人が日本でもさらに増えることを望む。