1年を終えて、1年の始まりに立ち。

明けましておめでとうございます。
とても静かな年越しをしました。


というのも、12月後半は2週間のお休みを頂いて(※海外では2週間連続のお休みを取ることがコンプライアンス上必要になる会社もあり、私の会社もその慣例にのっとっています。その間、メールチェックなども一切無し、というはずではありますが・・・笑)ケニアで私が手伝っている起業家達とのミーティングのため、ナイロビのプロジェクトサイトへ足を伸ばしていました。


その折、夫も「一緒に行く!」ということで、二人で楽しくいったものの、どうやらナイロビのどこかで食べたもの(多分スラムの家庭の食事でしょうねえ・・・)がお腹に当たった様子。しかも、自分で正露丸か何かを飲んでいたようで、細菌性腸炎が長引く羽目になりました。
(下痢が始まると細菌性の場合は下痢止めは飲まずにとにかく苦しんで出してしまう方がいいのですが、彼はあまり途上国に行ったことがなかったので、下痢止めを自分で飲んでいたみたいです・・・)

二人でケニア旅行の後、一度イギリスに戻り、その後日本に帰ってきているのですが、私がついに彼のその状態に気づき、それは駄目だよ!と言って、私の愛用品である『ヤクルトBL整腸薬』を飲ませた途端、止めていたものが出始めて、一気に体調悪化。高熱と下痢が続きました。

それで年末31日には聖路加病院にて一日中検査をし、年越しそばもおせちも食べられずに、おかゆおかゆの毎日を夫は過ごしています。

私はもちろん食べていますけれど・・・笑

(聖路加の感染症のお医者さんはとても良いお医者さんです。また、聖路加には渡航内科のような所があり、途上国行く人はばしばし予防注射を打ってくれるのでかなりお勧めです。)


私は以前途上国から帰国した途端、食中毒を一度やり、その後、腸チフスなど口から入る菌に関係するものの予防接種は終えていたので、同じものを食べても大丈夫でした。一度食中毒をやると、だいぶタフになります。私はその時は抗生物質を呑むこともなく、自力で治したので、それも良かったのかもしれません。彼は今回きちんと予防していなかったので、仕方ない。。。。何度も言いましたけれど・・・。笑 仕方ないですね


と、年始早々下痢の話などですみません。これもひとつのご愛嬌・・・。というわけで、とても教訓的な年末年始を迎えることが出来ました。


夫が昏々と眠る横で、読書や雑誌を読みながら、音楽を聴いたり日本のテレビを見たりする、静かな静かな年明けでした。


2010年の1年は知らぬ間にたくさんのことが起こりました。1月7日にBOPイノベーションラボというオンラインコミュニティを立ち上げてから、あれよあれよと、大勢の人達が自分達で行動を起こすのを目の当たりにし、焦るというか凄いというか、理解を超えていたり、日本独自のコンテクストの中で進む物事に追いつけなかったりして、何がなんだか分からない瞬間を何度も経験しました・・・笑


でも、こういうのが起こるということこそ、本当に楽しいことだなあ、とつくづく思っています。

やはり化学反応がものすごい。
ポテンシャルの高い人達がうごめいている限り、必ずエントロピーは高くなるのですから、化学反応が起こっていく。
それらを実感を持って、体験させていただけました。


本当にこの1年で出会うことが出来た、沢山の方に感謝です。

この1年の間に、出会った方々が、次の1年の間に生み出すもの全てが、ものすごいパワーを持ったものになるだろう、と信じています。


仕事も沢山できました。こういう形でBOPビジネスと呼ばれるようなものが仕事にすることができるとは思っていませんでした。色々先回りして、数年前から先行投資して自分で駆けずり回って、良かったー、(というか、ようやく回収の目処が立ち、ほっとした感じ・・・)というところでしょうか。
悔い無き数年間の面白い経験を得ることが出来たと思います。


今年は、2010年に突風のように過ぎていってしまったがゆえに、きちんと対応できなかったことを、順々に着手し、頭を整理し、深堀し、次へ進んでいこうと思います。


特にすばらしい人達と出会うことが多かったのに、中々それを何かの形に出来ないまま終わってしまうことも多かった。
実行の段階に至るまでにはアイデアだけが浮遊しているものや、確信が持てないものが多かったのも事実。
それを着実に地に足の着いた事実にしていきたいと思います。


そして、2010年の最高に良かったこと・・・。

ケニアに4月に足を運んでから、スラムにいるピーターという青年と交流を続けていました。

彼に「ビジネスによるエンパワメント」の話をして4月は別れたのですが、じっくりと彼自身納得できるまで考えたのでしょう。

10月から鶏のビジネスをはじめたのだそうです。

夫と一緒に彼の収支を計算してみると、利益率は30%を超えています。彼とその話をしながら、今後の展望を話し合い、彼がきちんと高校に戻ることができる、学費を払いながらビジネスオーナーになれる、そういう計画を3人で立てることができました。


これが、一番うれしかったことです。


私はお金持ちでもないので、お金もあげられないのですが、人を元気づけたり、ヒントの種を風のように運んで歩くことは出来ると思う。
彼が日本やイギリスから来たこのヒントを、自分の中で熟成させ、誰に言われるでもなくはじめたこと。


これが一番うれしかったのです。
私は、「ああ、この1年の活動の方向性は間違っていなかったんだ」としみじみ思いました。安堵に近いのかもしれません。



さて、今年の抱負を書いてみます。こういうのは野暮ったくなるので書かないのが主義ですが、今年は非常にシンプルな課題を持っています。

「時間に価値を与える」

実は、昨年の移動した国の数は仕事だけでも7カ国。旅行なども入れて述べ回数では12カ国に移動しています。
イギリスの自宅に滞在していた日数は190日。
ほぼ年の半分をどこかの国で過ごしました。


私の生活を支えているのはSkypeや携帯による電話会議、車に乗りながら時差を超えて電話会議をすることもしょっちゅう。
また、朝4時・5時から、夜中12時から、などの電話会議もよくあります。


夫はこの私を「遠洋漁業」と呼ぶ・・・
(彼も出張が多く、近場のヨーロッパをうろうろするので、地引網とか近海漁業程度でしょうか)


「時間に価値を与える」というのは、こうした生活とどう向き合っていくかです。


自宅では有機栽培の実験(途上国農村部での農業の勉強のため)もはじめたものの、それらもこの遠洋漁業状態で枯れ果ててしまいました。
またイギリスに住んでいるにも関わらず、イギリスで起こっていることや時流を把握できず、私はいつもインドと中国とアフリカの話題しか知らない・・・。
最近、リクルートの就職関連の某サイトから取材を受け記事を書いていたのですが、そこで出来上がった原稿をあらためて見ると、イギリスにいる人の話なのに、インドの話ばかり出てくるので、夫が大笑いをしていました。


これでいいのか、と悩むことひとしきり。



しかし、私の生活を真横に見ながら、家族である夫も価値観がだいぶ変わってきました。昔は、どちらかというと、本当に一般的な20代から30代の日本人男性の考え方に近い人でしたが、いやおう無しに「ノマドな奥さん」との生活を突きつけられ、少し可哀想かな、と思いつつも、彼は彼でそれを、新しい価値観を構築していくための、ひとつのきっかけとして捉え始めてくれている様子。これぐらいうれしいことはありません。


彼の会社の人達もうちの家庭に対して「変わった奥さん」のイメージがある、というのを最近夫の口から聞き、笑ってしまいました。
大概の駐在員の奥さんは働き口を見つけることができない、かつ、皆さんは泣く泣く仕事をやめて主婦をされている方が多いので、私のように働くことが出来ているのは幸せだと痛感します。(半分も一緒に居ないくらい働いているのですが・・・)
日本でキャリアウーマンだった方も、イギリスでの再就職は難しいようで、それもあって皆さん家庭での仕事がパーフェクトな様子。家事に育児に、おもてなしに、と誘われて行く度に、うちとの雲泥の差に苦笑せざるを得ない・・・。うちの夫はその点、洗濯や自炊は自分でやるようになっているので、周りには「大変だね」といわれている様子です。私からすれば、私も同じくらい働いているのですから、もっと家事をしてと喧嘩をすることもしばしば。そこで、お互いの喧嘩を少なくするための投資として、iRobot社のルンバ(Roomba)を購入して以来、うちではこのルンバ君が大活躍しています。


日本で昨年2010年11月にBOPビジネスのセミナーをやった際に、「この分野には女性が多いし、女性が元気ですが、どうしてですか」と聞かれました。女性は元気なのですが、夫との生活を両立させる、となった途端、この分野の仕事は難しい。皆さん、独身の方が多いと思います。


それはひとえに、夫の理解、夫の変化、年齢、周囲の目、家の中やそれぞれのカップル毎の文化やルール、社会契約・・・・、こうしたことに絡み取られていく問題だからです。独身であれば、長期間どこにいようが何とも言われないし、後ろ髪を引かれる思いもしませんが、もし自分自身が家庭を持っていて、家庭を大切にしたいという気持ちが強い場合、気持ちは複雑です。


これからグローバルに働き、あちこちを動き回る人が増えていくであろうことを考えると、新しい仕事のあり方、新しい夫婦のあり方を考え、そこから新しい会社のあり方も考えていかなくてはならない、と強く思います。


旅のような毎日が続く生活は、毎日が新しく驚きに満ちていて、アドレナリンが出るものですから、そこまで苦ではないものの、色々なひずみが出てきているのも事実。身体的にも、精神的にも、今まで見たことのない状態に何度もなり、自分の状態を常にチェックするようになりました。

チャンスを楽しむべく、時間を効率的に使い、健康を維持するための時間をきちんと太陽の出ている時間帯に取れるようにする。人間らしく、音楽や園芸や文学を楽しむ時間を盛り込み、時間ひとつひとつが持つ価値や豊かさを増やしていく。
こういう配慮が必要になってきた歳、と感じています。


「時間を節約する」という表現は殺伐して苦手なので、もっと正しい言葉があろうと思い、「時間に価値を与える」として考えて行こうと思います。これから一つ一つ、また問題にぶつかりながら、試行錯誤して、答えを出して行きたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今週日本滞在セミナーてんこ盛り

以下でお話させていただきます。

・15日:日本総合研究所セミナー (終了しました)
 BOPビジネス最前線 〜「価値協創」時代の新興国市場戦略 〜
 http://www.jri.co.jp/page.jsp?id=18705

・18日:フィランソロピー協会
 開発途上国の現場から考えるBOPビジネス
  ― それぞれの企業の役割を考える ―
 http://www.philanthropy.or.jp/contents/activity/seminar.html

・19日:サイコム・ブレインズ研修コース内

今週末には日本を離れてしまうのですが、皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

やっぱり、どうしても、言いたい・・・ 技術偏重は心配だ・・・

昨日、自分の会社でBOPのセミナーを開催した。約2年ぶり。会場にいらしてくださった方々、本当に有難うございました。
昔に比べると自分たちの知識も経験もようやく少しマシになったな、という感じだけれど、特に経験値が増したのはよかった。
弊社のディレクターが「前職含め7−8年の研究活動」と言ってくれたこともうれしかったが、そんなに長くなるのか、そういえば・・・と思った。(なんだか、一つのことしかしていないなあ・・・)


時間が短くて、言葉としては漏れていたことも沢山あった。なので、会場にいらした方などどんどんフィードバックをいただければ、追加情報や個別・具体的な情報は後ほど沢山お話ができると思います。


昨日のセミナーでも述べたのだが、実はここ半年、かなり気になっている動きがある・・・
まだ黙っていようと思ったのだが、やっぱり昨日のセミナーでスライドにして言ってしまった・・・
(会社のメンバーは、「思ってるなら言っちゃえ言っちゃえ」といってた笑)
まず、BOPに関する誤解、それから、技術偏重に対する懸念。この二つは今の動きの中で要注意してみている。


特に技術イノベーションの件。技術イノベーションへの過度な期待は、本当に机上の空論で終わる怖さがある。だから、気をつけたい。
さらに私が警戒している理由は、アメリカから出てくるBOPの議論の影響をもろに受けている感があり、現場ではそこまで聞かれないストーリーだからだ。つまり、世界的にみると地域限定的なディスカッションなのだが、日本に来ると大盛り上がりになってしまう。もっと全体で議論しないといけない。


私は技術も確かに面白いが、組織やヒトが変わることのポテンシャルの方が高いと思っていて、そちらが面白いと思っている。
そんなことも踏まえて、昨日のセミナーでは淡々と思っていることをお話した。


さて、数週間前にドラフトボックスに放り込んでおいた、ブログ記事を、この際、アップしようと思う。


懸念を感じ始めて・・・

半年くらい前からずっと気になっていたのが、BOPビジネスを語る潮流の中でテクノロジー重視の傾向がどんどん強まっている。
私もテクノロジーを信じていないわけではないし、「世界を変えるデザイン」も高野さん(英治出版)と、日本の人たちはものづくりが好きだから、多分アピーリングだろう、ということで最初の導入編として編集した。それに、槌屋さんが最初に技術の話を持ち込んだんでしょう、と言われることも少なくない。


技術の話からBOPを語るのは、ドラえもんを語るように未来があって、希望があって、わくわくするものだ。魅了することこの上なく、尽きない妄想が広がる。今まで不可能だと思ってあきらめてきたことに、一筋の希望の光を与えるのが、技術とBOPの話が交差する地点だった。


特にイノベーションとしてBOPの課題を捉える活動を新たにつかみ直すこと、これに光があると思っていた。
つまり今までは「貧困解決」とか「新自由主義反対」といった言葉で語られてきた草の根の活動の多くが、一部の人たちだけの心の吐露や拠り所になるのではなく、多くの人々が共感し、自分たちに「できること」を考え始めるきっかけを与える・・・。遠いアフリカの大地の話ではなく、近く自分の身の回りにおこることと水平に並べて考えることができるようになる・・・。
そういう光があると思っていた。なぜなら、その光こそが多くの社会運動の中で何度も繰り返し繰り返し、失敗してきたことだったからだ。ファンドレイジングやキャンペーンをやる度に、何度「日本人が、あなたができること」を意識しただろう。市民に貧困という言葉の意味を分かってもらうために、何度「遠いアフリカの話ではなくて、これは社会構造の話であり、あなたと繋がっている」と話しただろう。
でも、言葉で話しても、実現されたプロジェクトや物を見せられた時の方が衝撃が大きい。
だから、プロダクトから入ろう、そう決めたのだった。(そりゃ、失敗だったかな、と思うこともありますよ・・・笑)



技術讃歌ではない、人を中心に考えること、とは何か?

だが、「世界を変えるデザイン」の本質は、テクノロジー賛歌ではなかった。むしろ、テクノロジーを支える人たちの人間くささと、現地の人たちと積み重ねるトレーニングと対話、自分達の教育を見直し、現地で行われる教育を見直し、知識について考え直し、思考を繰り返す地道な努力、それを描いていた。


テクノロジーは決して途上国や被災地の人々の問題を一気に解決するようなミラクルソリューションを提供するのではない。テクノロジーを導入することで貧困は減らない。テクノロジーを使う人々の知恵と心と道徳と。人が使うことによって、人がそのテクノロジーを生み出す過程で活き活きとすることによって、初めて貧困は減るのだと思う。つまり、プロセスが貧困削減に役立つのであり、プロダクトは最終的なソリューションではない。


彼らが植物を育てたり、自分達の家を直したり、水を運べるようになったりする過程で、色々悩み、色々試行錯誤する。そのプロセスを一緒に忍耐強く行っていくことが、今まで無かった取り組みだと思っていた。それがイノベーションを生み出すプロセスである。
新しいテクノロジーを新しい地域に導入すること自体は「イノベーティブ」ではない。



本当のイノベーションは技術でなく、そのプロセスにある

今の技術にもとづいた言説を見れば分かるように、多くのBOP向けに利用されている技術が「古い技術」「枯れた技術」「眠っている技術」と表現されており(実際のところ古くもなく、眠ってもいなくて、枯れてもいない・・・この表現は全て富裕層マーケット(TOP)におけるポジションしか表していない)、そして、その多くが新しい組み合わせを作り出すことで再利用され、再加工され、新しい価値を生み出しているだけだ。
マイクロファイナンス×モバイルペイメントも、新しいかけ算の方程式をみつけただけだ。
組み合わせは新しいかもしれないが、技術自体にイノベーションは起きていない。
組み合わせを刷新するために求められたものは、二つのかけ算項目の間を調整する力であり、一つではなく複数で作り上げる過程である。つまり、新しい組み合わせを作り出すために必要なプロセス、がイノベーティブであり、人を活性化させるのだ。


ここではっきり言おう。テクノロジーでは貧困は解決しない。
貧困は人が作り出したもの。人の手で解決させるのである。
人の手が加わり変わって行くのはプロセスである。
プロセスに注力すべきだ。人が育ち、人がつながり、人が言葉を発する。そのプロセスだ。


危機感を抱かせる国際的な動き

なぜこんなにも危機感を覚えながら警鐘を鳴り響かせているかというと、ここ数ヶ月で様々な動きが一気に動き出し、その裏側の様子が見えてきたからだ。陰謀とかそういった意味ではないのだが、全ての動きが一つの円で結びつきを持って、私の目の前にたち現れてきた。ミッシングリンクが繋がってきた。


アメリカと欧州で今にわかに話題になっているのが、開発援助機関(アメリカのUSAIDとイギリスのDFID)の両方で技術指向のファンドが設立されたことだ。この動きは1年以上前からずっと始まっていて、各開発援助機関の中でむくむくと動きだしていたのだが、アメリカにおいて、ここまで技術とビジネスの見事な融合が支持される形になろうとは想像していなかった。


追い討ちをかけるように入ってきた噂話。バンキモン氏がビルゲイツ等の「成功者であり、最高額の寄付をしているフィランソロピスト」たちを「貧困削減のSuper Heroes」という名において、UNのアドバイザーにしたこと。これがUSAIDや他の援助機関にも影響しているという噂も耳に挟むことが多くなった。これによって、「ビジネス界で成功した人たち」の主導によって、技術オリエンテッドな援助プロジェクトにはグラント(無償援助金)がつきやすくなる、という動きが起こっている、らしい。噂レベルの話だが・・・。(※もともとよく日本のODAは技術ばっかりで、日本企業の技術が優位にたつものだから、と現地や外国の援助機関からは批判されていたものだが・・・)

本当かどうか知らないし、これは、ここ数ヶ月表面化してきたことなので、単なる短期的なトレンドかもしれない。
だけど、そういう噂話が出ること自体、何かの表れだな、と少し危惧している。


美しい言葉の背景には思惑がある

さて、うって変わって、今度は会社が開発課題に対して打ち出すCSRやBOPに関連したスローガンの裏側について考える話。ここにも閉塞的な雰囲気が流れ始めている。数年前の自由闊達な空気が自粛気味だ。

「企業が開発援助においてできること」を問うセミナーやディスカッションはアメリカでもイギリスでも多数行われているが、その多くは、「プロダクト」と「雇用」が最高の貢献だということで終始してしまっている。「企業ができる最大の社会貢献は、プロダクトと雇用!」というスローガンやCSR担当部長の言葉に大絶賛の賛辞がのべられ、リーダーシップがあるとかなんとか言って、大喝采がおこる。
ほんとにこれがリーダーシップなのか??


ここまでシンプル化されて安易なディスカッションに終始するのは、企業はそれ以上のリスクをとりたくないことの現れかもしれない。もしくは、それを言外に言ってのけ、そしてそれ以上やってくるアプローチから自分たちを守るためかもしれない。私は、何度も美しい言葉とリスクヘッジをしているこうした企業の担当者のところへ行って話をきいたことがあるが、新しいアイデアを受け入れる要素は非常に少なかった。「そういう考え方もあるよね。でもうちは違うから。」「でも、あの言葉の意味はそういう意味にもとれますよ?」「あれは、僕たち自身の定義でね・・・」と抽象的な言葉がならぶ説明がはじまる。
最近のアメリカと欧州の多国籍企業のスタンスを見ていると、なぜもっと突っ込んで正直に話さないのか見ていてもどかしいくらいだ。そして、皆その美しい言葉で満足してしまっているのだ。


日本の会社の中には、自分の会社が「陰徳」を積んでいるかどうかを自虐的なまでに何度も問い直す会社もあるのに対して、(もちろんそうではない会社も多々あるが)欧米企業の多くが、安易に自分達の貢献を美しい表現に言い換えてみて自己完結している姿は、時々見ていてイライラすることさえある。
それがこの1年間、欧米に拠点をおきながら多国籍企業を見てきた、正直な感想だ。多くのCSR関係者やSRIアナリスト達が同じ思いを持っているかもしれない。


BOP関連の海外のコンサルタントとともよく話が合うので連携するのだが、彼らも「最近は、みんなネスレ、ダノン、マイクロソフトDSMとか決まりきっているでしょう?他にチャレンジしようとする気がないんだよ。つまらないよね。仕事をしていても、大体、あ、あの会社のあのプロジェクトね、ってしってることばかり。」
つまり、もうブランドの一つとしてBOPなんて捉えられているから、既に確立されたブランド領域に改めて参入してくる会社の方が少なくなってきたということか。


結局、この論の行き着くところは、途上国と企業の新しい関係性を模索するような、度量のある試みが行われずに終わってしまい、小さくまとまってしまう。
上に延べたような大手企業で先進的な企業以外の、他の企業たちの落ち着きどころは、PPP(Private Public Partnership)という名の下に、現地政府とMOUを結び、企業が最大に貢献できる「プロダクト」と「雇用」を提供する。つまり、企業が生産工場を置き、商品を売る、ということである。(これならリスクをとらずにできるし、上層部にも最新トレンドのBOP事業にも足をのばしてやってます、といいつつも、他事業部から白い目でみられずに済むからだ。それなら無理してやらなくていいのに・・・。本当に、何度も言うが、「全ての企業がBOPビジネスをする必要なんて全然ないのだ!)


そして、それを無償で支援するグラントファンドができつつある。最高のプロダクトをNGOや現地政府に売りつけることもある。この無償グラントのおかげで補助金ビジネスになってしまった商品が、途上国市場を跋扈し、そのおかげで市場が破壊される可能性も十分高い。
(これはOLPCネグロポンテ氏がIntelのやり方を批判した時にも同じことを言っていた。結局OLPCのプロジェクトは現地で補助金ビジネス化したIntelの格安無償配布PCに勝てなかった。自由競争は行われなかった。そして、この間もCSR Europeにて出会ったIntelの担当者と話した時も、やはり彼らは自分達のプログラムは、「現地政府が呼んでくれた土地にしかいかない」とはっきり言い切った。つまり補助金やそれに近いコスト削減のお膳立てが無い限り、絶対に自分達の商品をディストリビューションしようとは思っていないのだ。)



Beyond the line ーその先を超えて行くリーダーシップはどこに?

実はUSAIDやDFIDの考えていたファンドはもっともっとイノベーティブで面白いはずだった。(当初、取材する機会も色々あり、話を聞きに行った時はエキサイティングなムードに包まれていた)だが、当初のアイデアや検討のプロセスの中で投げ込まれた沢山のアイデアは、お互いにその良さを相殺しあい、つまらない淡白なものが出来上がってしまったように思う。結局現在では国連のスーパーアドバイザーになったビルゲイツが親指をたてて Good job! Well Done! とほめてくれるようなファンド構想に落ち着いてしまったような気もする。


これは世界各国で起こっていることで、USAIDやDFIDだけに限ったことではない。それに、開発援助側にずっといた方は特に「いまさら何を言っているの、今までの法則と何も変わらないじゃない。(今までだって企業誘致のために開発援助は何度だって利用されてきたでしょう、考え方が甘すぎるよ)」というだろう。それに、ビジネス側にいる人たちは、「それのどこが悪いの、プロダクトと雇用がなければ経済発展はしないでしょう(大体、我々があの国の発展をひっぱってきたんだし・・・)」というだろう。


私も、この意見には、これ以上賛同できないくらい賛同している。こうしたスタート資金がなければ、プロジェクトの多くははじまらないし、こういったファンドやテクノロジー導入を支援する基金が存在しなければ、NGOや現地の市民社会はいつまでたっても、本当にビジネスに繋がる機会を手にすることができない。
いくらコミュニティが成長して、キャパシティビルディングをきちんと形成できたとしても、それがマーケットに繋がる道筋を持たなければ、停滞期/プラトーにはいる。それは事実であり、だからこそ、私も仕事ではマーケットとコミュニティを繋ぐ仕事をしている。


それでも、「でも、でも」とクチにだして言う私の懸念は、このあまりにシンプル化された議論にはミッシングポイントが多いということだ。
確かに、「プロダクト」と「雇用」の生み出すインパクトは大きい。なくてはならない。
だが、「企業が開発援助においてできること」は決して「プロダクト」と「雇用」だけではない。企業はもっともっと出来るはずだ。自分たちでひいてしまった、限界線を超えて。人を育てることやコミュニティと対話すること、ビジネスのプロセスを変えながら適合していくことや、ローカルの知恵を再認識して技術に取り入れていくこともできる。自分たちの今まで作り上げたものを見直し、否定し、受け入れ、反省し、更に前に進んで変わって行くための勇気を持つことだってできる。社内の人材を活性化することもできるし、現地政府に1企業としてロビーイングを行い透明性を求めることもできる。ソーシャルミッションを持った人たちが広がるようなカタリストになることもできる。
そこに境界線はないのだ。誰も、定義なんてしていない。


企業はもっとできるのだ。今見えている自分達が勝手にひいたラインを超えて、さらに先に行けるはずなのだ。
(この3週間で何度色んな人に言って、叫んで歩いただろう。"Business can do more! They will notice that we can do more beyond this line!")


それが本当に、BOPビジネスが企業にとって意味するものであり、BOPビジネスがもたらしてくれる「イノベーション」の意味するところだと、私は勝手に思っているのだが。
これは私の勝手な希望でしかないのだろうか?


この論考を書くにあたって、正直なところ勇気がいった。なぜなら、多くの心ある人たちを批判してしまうことになるかもしれないと思ったからだ。でも、これは批判ではなくて、私自身の反省でもあるし、そして、やはり、と見直す機会なのだと思っている。

この文章を書く前に相談したら、書き方を工夫すれば、皆わかってくれるんじゃないかしら、とアドバイスをくれた友人に、本当に感謝している。そして、考え続けて、結局数週間お蔵入りだったのだけど・・・。笑

にしても、まだ頭が整理されていないのか、文章が変ですかね。ライブ感を楽しんでいただけるとありがたいです。(いい意味で・・・笑)
さまざまなフィードバックをお待ちしています。

高津さんとの対話6時間

人生に滅多とない出会いと、人生に滅多とないチャンスというのは、こういうことを言うのだろう、と思った。


今回の日本帰国のメイン仕事であったビジネス・ブレークスルー大学院で放映するための講義「BOP市場の事業開発とイノベーション」は、6回講義で行った。1週間強で、6回分撮りきりという強行スケジュールで、スタジオに一日4時間〜5時間こもって、番組の収録をさせていただいた。


現場スタッフの皆様には大感謝で、本当に私の「途上国なみの無秩序さ」や「他人にもがんがん強いる臨機応変力」みたいなところを、柔軟に裁いていただいたので、本当に頭が上がらない。感謝の言葉に尽くせない。豚もおだてれば木に登るというが、現場スタッフでずっとついていてくださったKさんが、何度も「面白いです」といってくださったおかげで、6時間分の収録中、ずっと熱弁ふるってしまった。


そして、なんとも優雅で、贅沢な時間だと思ったのは、高津尚志さんにキャスターになっていただき、色々話を引き出していただいたこと。元々、番組編成の際に「槌屋さんは一人で講義を淡々としゃべるキャラじゃないな」と判断していただいて、「キャスターの方はどなたがいいでしょう?」とお話いただいた。

元々JFeelにいらっしゃった野田稔さんには年始のNHKでご一緒させていただいていて、同じJFeelで働いていらっしゃった高津さんとも昨年末に英治出版のブッククラブでお会いしていた。色んな縁を感じて、高津さんには年末年始に本当にお世話になりっぱなしであった。


高津さんはデザインを勉強されていて、桑沢デザイン研究所を卒業されている。
経営はデザイン、デザイン思考、といった文言をご一緒に考えると、本当に面白い。アフォーダンスってそういう風に理解するのか!とか。

「世界を変えるデザイン」についても、高津さんとお話していると、経営層になぜ響くのかよく分かる。ただ単にFUNだからではなく、理路整然と時代が必要としている思想やデザインのあり方について、分かりやすく語ってくださるため、なるほど、だからこれがそう繋がるのか、と理解できる。時代の空気や時代感といったものを、じっくりと高津フィルターを通して話してくださるのと、普段から多くの経営層や高津さんの同世代の方々とお話されているので、自然と目線が高い場合どう見えるだろうか、というのが分かる。本当にお話していて、心地よく、様々な「ドットをつなげあう」ことができる方である。

こうした方にお会いできたのも、英治出版の高野さんはじめとする皆さんにお世話になってきたからで、縁は縁を呼ぶ。素敵な出会いは素敵な出会いを生み、素敵なアイデアを生む。


現在執筆を続けているが、経済思想とはなんだろうかと常日頃考えてしまう。
今回の第6回シリーズ収録で、自分が伝えたい思想を言語化できた。ある意味、高津さんにメンターとなって入っていただき、生の情報が蓄積し続ける私の頭の中を整理していただいた形だった。毎月のようにBOP市場に足を運ぶと、生のデータ、生の顔・ペルソナ、生の人々の生活や言葉が、次々と入っては消えていく私の頭の中はごちゃごちゃしていた。あれは、これと繋がりそうだが、繋がる最後の線が見えない、ということもしょっちゅうだった。


今回、東京で高津さんとの10何時間という時間を経て、そうしたもののドット・コネクトが明確になったように思う。こうしたメンター的存在の方がいることに、神様に最大の感謝をささげると共に、こうした方々を元気にできる存在であり続けたいと思う。


なので、現場に行き、また元気をもらってきます。メンターになってくれる過去と未来の様々な皆さんにお会いできるようになるために…。


現在、中国の農村部にて。
また、多くの感動する人と心に触れて、帰りたいと思います。

心と体が繋がる仕事をするために妥協しないということ

この数日、仕事と合わせつつ、時間の合間を縫って、会って話したいという方に沢山会ってみた。(たまたま、同僚達が出張に行っていることもあり、そういう2日間、というのを作ってみたのだ。)

この時間を作り、多種多様な方にお会いできて、本当に面白かった。


企業の中にいる方、社内起業家になろうとしている方、会社をおこそうと思っている方、留学しようとしている方、転職しようとしてる方、会社に変革を起こそうと思っている方…。


共通用語になってきた(らしい)「夜の仕事を昼の仕事にする」というところで悩んでいる人がほとんどだった。


確かに悩ましい。一昼夜ではそうならない。
なんとなくお金になるような気はするんですよね。
とりあえず、このあたりから始めればいいと思うんですよね。
新興国市場進出の一環ですから。

はて、本当にそうだろうか。
本当に新興国市場進出の一環なのだろうか。


安易な仕事を作り出しても面白くない。
でも、その高みを目指すには、ステークホルダーが多すぎる。
悩ましい・・・


結局のところ、、、、
私の勝手な結論だが、BOP事業を行うというのは、最終的には自己否定し続ける勇気があるかどうか、なのだ。
自分を「破壊的に変える」ために、自己否定することにためらいのある方には向かない、というか、ひどくハードルの高い事業に見えてしまう。


この過程は苦しい過程だ。
何度も自己否定が必要になる。
自己否定が苦手な人も現れる。そんな人もチームにいる。


自分が常に変化している、成長している、新しいものを融合していっている・・・そういう自分を確認して、生きがいを感じる人には、敷居の低い事業なのだが、そうでない人にはただ辛いだけだ…。


企業にとってもそう。個人にとってもそう。
そしてBOP事業に限らず、そう。
破壊的なイノベーションってなんなのか、と常々考える時、BOPとかどうでもよくて、一体人はなんのために否定し、再生し、アウフヘーベンするかを考えてしまう。


今回は特に、そんな話が多かったので、夜の仕事を昼の仕事と一致させようとしている方々に、さらに次のフェーズ、次の高みへ向かわせるために、(笑)、ある意味沢山の心理作戦をして、色々焚きつけてみた。


本当に、それで安易にお金を稼ぐことがあなたの望みなのかどうか。

それで結局、あなたの中にわだかまりは残らないのか。

わだかまりは、結局今あなたが抱えている「昼」と「夜」の区別と変わらないのではないか。


本当はお金を稼ぐことじゃなくて、その事業であなたの会社が変わることが望みなんじゃないのか、という問いかけ。


世界がこうなるであろう、という自我が信じ込む世界へのビジョンに向かって、あなたが信頼を置き、あなたが共に歩んできたその会社が、きちんと時代性をもって対峙していこうとする、そういう会社にしたいんじゃないのか。


これこそ、究極の社員ロイヤリティなんじゃないのか…。



一つでも、現地コミュニティには役立たないBOP事業を減らすために、少しだけ意見しただけなのだけど、皆さんは心の奥底で分かっていらっしゃって、こういう。

「そう、ぼくら・私たちはそんなんでは満足しないんですよ」と。


その時、やっぱり私は人間、捨てたもんじゃない、とうれしくなる。私はやっぱり人間という動物を信じていて良かったと思うことがある。


結局、なぜプロボノや昼の仕事という言葉で、仕事場じゃないところで一生懸命、心の通う仕事をしようとしているかというと、その心の通う仕事こそ、自分が信じる未来を体現・言語化してくれるものだからなんじゃないだろうか。


それなのに、本業になったとたん、砂漠のように割り切って、ダブルスタンダードでいいんだろうか。


それよりも、心と体が繋がる仕事を増やしていこう。
それは決して、不可能な話ではないのだから。


かくいう私も日々、苦労中です。
でも、おかげさまで、心と体が繋がる仕事をさせていただいております。感謝感激・あめあられです。
その感謝は会社のチームへ、お客さんへ、そして一緒にがんばってくれるコミュニティへ。


みなさんも苦労の最中でしょうが、がんばりましょう…

仕事人間と家族人間

日本でよく聞かれるのが「そんなに飛び回っていて、家族は大丈夫ですか」という質問で、大丈夫かどうかは旦那に聞いてみないと分からないけれど、「多分、大丈夫なんだと思います」と答えています。(今のところ、破綻していないので…)
昨日も、彼もたまたま日本に出張に来ているので、この話をしたら、「やっぱり聞かれる?こっちも聞かれる」と笑っていたくらいだから大丈夫なはず 笑。


日本や仕事場ではファシリをしたり、物事を仕切らなくちゃいけなくて、「家でもそんな感じに仕切っているんですか」とも、よく聞かれます。(笑)決してそんなに仕切り屋ではありません…

そして女性の方から最近「どうやって仕事と家庭を両立しているんですか」と聞かれるのですが、やや困惑気味です。


この言葉って日本でよく使うけど、深い意味を考えずにつかっていたなあ、って今では思うのです。

まず、「家庭」ってなんだろう、「仕事」ってなんだろう。
日本にすまなくなってしまって、放浪的ノマド仕事になったとたん、この定義がまったく違うものになってしまった、のではないか。


「家庭」ってなんだろう、ということで旦那に話してみましたが、「うーん、自分らの家庭というのは、家に帰ったらおかえりー、っていうそれが家庭だねえ」という感覚しかないのと、それだけでいいんじゃない、という感覚しかない。その「おかえりー」が一番重要なのだから。
結論として、「家庭」はカップルによって違う、という話に。


多分「家庭」という言葉が持ってる重みや責任みたいなものはあまり感じていないのかもしれないです。
むしろ、私にとっての家庭は、帰る場所であり、一緒にいると安らぐ人がいて、お気に入りの枕があり、すぐアルファー波が出てきて眠くなって、一日ぐうたらしていても許される場所です。(多分、うちの夫に聞けばわかりますが、「寝すぎなくらい寝てる」のが私です… すみません)
あとは、好きな本や映画のDVDが山のように積んであって、実験場のように植物を育て始めようとしていたり、工作道具が並んでいたりするだけです。(子ども部屋と変わらない…。)


掃除や洗濯やご飯というのも家事があるでしょ、といわれますが、それは家庭であろうとなかろうと、どこかでやらなくちゃ生きていけないので、ひとつひとつ楽しんで、楽しくないものはやらない、という非常にざくっとした割り切りをしています。
(子どもが生まれたらそうもいかないのかな)


みんなそんなもんなんじゃないんでしょうか?


一方でそこまで自分ががむしゃらに働いている感もないので、多くの人が聞いてきた質問の中にある「仕事」の定義も違うんだろうなあ、と思っています。


自分が仕事人間だと思われていることが意外だったので、日本で色んな人と話すうちにあまりに仕事人間だと思われているのでびっくりしてしまったのですが、実態としては、イギリスにいる時は本当に適度に自分の範囲内の仕事をしているだけです…。(すみません)
公園をのんびり歩くし、美術館にも行くし、映画なんて週に2本くらい見ているし…、散歩でうろうろしているし。
日本に帰ると死ぬ程働かないといけないのは、日本のソーシャル・プレッシャーが強いからに違いないと思っていますが…


もともと、やめた仕事。それがラッキーにも素敵な会社のチームたちのおかげで、またやらせてもらっている、という感覚もあるためか、まったく拘束されている感覚を持たずに仕事をしているというのも理由の一つ。いつ予算カットで辞めになっても仕方ないし、そしたらそれはそれで、自分でサバイブしていかなくちゃな、というものもある。そのためにいつでも辞めることを前提に、毎月毎月生きていく。会社へのロイヤリティは高いつもりだけど、ごめんね、さようなら、となってもへっちゃらにしておかないといけない。寺山修司の「さよならだけが人生だ」ではありませんが、それでもいいと思えるようにいつも思っている。


だから、私にとっては家族が一番。私にとって、家族との「さよなら」はないからです。(破綻した時は家族を辞める時なんでしょうけど、それまでは…笑)
家族と仕事どっちとる、と日本で辞める時に言われた時は、「もちろん夫です」と即答した。だから、今がある。今月は旦那と一緒にいたいので、ということで出張の日程を変えてもらうこともあるので、会社のチームには理解してもらって生きているなあ、と思うこともしばしば。


その一方で、旦那との財布は別なので、仕事は仕事でしていかなくちゃ、自分の好きな本や音楽も買えないのは困る。ということで、仕事も生きる糧として大切。そして、それが人間の尊厳だと思う。エンパワメントの仕事をしている限り、自分の尊厳の由来を常に考えてしまう。
また夫もいつ辞めても大丈夫なように、生活費くらいは稼げるようになっておけたら、ということで生きている。
イギリスに移ってきてからは、私の収入も激減して困っていたので、仕事が安定化するまでの間は夫に支えてもらっていたし、次は彼がそうなるかもしれない。彼は自分の好きな時に会社を辞めたり、勉強をはじめたり、冒険にでかけたりするのがいいと思う。なので、私もそれまでに仕事を安定化させる。これを「代わりばんこ投資」とうちでは呼んでいる。笑


そんな小さな小さなルールや二人の間の慣習が、少しずつ出来上がってきて、それでどうにか生きている。
二人が自由に生きていくためにも、二人はそれぞれ好きなように仕事ができるのが一番心地いい。どっちかだけの負担でもなく、どっちかだけの意思でもなく。


今でも父が仕事人間だったのを思い出し、うちの母が私に「ちゃんと家に帰りなさいよ、(そうじゃないとパパのようになってしまうよ)」としかってくれるのを思うと、自分は今までの人生で沢山、何度も何度も、仕事とはなにか、家庭とはなにかを考えさせられてきたのだ、と強く思う。
宗教のように、人間のコアを作り、信じる場所、よりどころにすべき場所を作ってくれるのが家族ならば、それは一生の中で何よりも大切。


自分の尊厳も大切。家族の尊厳も大切。仕事の尊厳も大切。
まだまだ、いろいろな試行錯誤を続けていきたいとおもいます。

掲載論文や雑誌記事をアップしました

ここ半年くらいの掲載論文などを大急ぎでアップロードしてみました。というのも、PDF化するのがままならず・・・。

ちょっと抜けている記事もありますが、またすぐにアップすると思います。

http://bopinnovation.jimdo.com/%E7%99%BA%E8%A1%A8%E8%AB%96%E6%96%87-%E8%A8%98%E4%BA%8B/